ニューオーリンズ・セインツ
colspan="2" align="center" style="margin-left: inherit; font-size: 120%; background:#テンプレート:NFLColor;" | ニューオーリンズ・セインツ The New Orleans Saints | |
1967年創設 | |
永久欠番 | 31, 51, 57, 81 |
colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell2;" |所属地区 | |
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colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell;" |ホームタウン | |
ルイジアナ州ニューオーリンズ | |
300px | |
colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell2;" | チームデザイン | |
テンプレート:Color box 黒 | |
フルー・ド・リ(フランス国王の紋章)。ルイジアナ州がかつてフランス植民地だったことにちなむ。また、ニューオーリンズ市の紋章でもある。 | |
colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell};" |獲得タイトル | |
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NFC: 2009 | |
NFC西地区: 1991, 2000 | |
1987,1990,1992 | |
colspan="2" align="center" style="vertical-align: middle; テンプレート:NFLColorCell2;" | 球団組織 | |
オーナー: トム・ベンソン | |
GM: ミッキー・ルーミス | |
ヘッドコーチ: ショーン・ペイトン |
ニューオーリンズ・セインツ(The New Orleans Saints)は、はルイジアナ州ニューオーリンズに本拠地をおくNFLのチームである。NFC南地区に所属している。第44回スーパーボウルで優勝している。
1967年にエクスパンションチームとして加入した。1970年のNFLとAFLの統合後、NFC西地区に所属した。チームは創設以来長期低迷し、1978年まで12年連続負け越し、1979年、1983年と8勝8敗になったが勝ち越したシーズンは1987年までなかった。1987年から1992年までに4回プレーオフに進出したがプレーオフでの勝ち星はなかった。この間1991年に初めて地区優勝を果たした。2000年シーズン、プレーオフ5回目の出場で前年のスーパーボウルチャンピオンのセントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげた。2006年にはNFCチャンピオンシップゲームに進出したがシカゴ・ベアーズに14-39で敗れスーパーボウル出場を逃した。2009年のNFCチャンピオンシップでミネソタ・バイキングスに勝ち初のスーパーボウル進出を果たした。 1967年から1974年まではチュレーン・スタジアム、1975年からメルセデス・ベンツ・スーパードームを本拠地としている[1]。
2005年はハリケーン・カトリーナによるスーパードームの損傷の為、暫定的にタイガースタジアム(ルイジアナ州バトンルージュ・4試合)とアラモドーム(テキサス州サンアントニオ・3試合)、ジャイアンツ・スタジアム(ニュージャージー州イーストラザフォード・1試合)を使用して、公式戦を行った。スタジアムの改修には1億8500万ドルがかけられて2006年から再びスーパードームを本拠地とした。チーム設立が承認された11月1日が諸聖人の日であることから愛称はセインツとつけられた。
トランペッターのアル・ハート(パートオーナーでもあった。)はジャズ曲『聖者が街にやってくる』("When The Saints Go Marchin' In")をオフィシャルソングとした。
目次
歴史
1966年11月1日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールによって新球団として承認されたことが発表され、1967年に創設された。
1967年シーズンロサンゼルス・ラムズとのチュレーン・スタジアムで行われた開幕戦でジョン・ギリアムが92ヤードのキックオフリターンTDを決めたが13-27で敗れた。この年チームは3勝11敗に終わった。エクスパンションチームが3勝をあげたのはこの当時のNFL記録であった。1970年のNFLとAFLの統合を経て(当初NFC西地区に所属)1986年まで20年間地区優勝はおろかプレーオフ出場さえなかった。1979年まで地区2位にさえなることはなかった。その中、QBのアーチー・マニングはプロボウルにも選出された。1979年、1983年とチームは勝率5割を達成したが1987年までのうち残り全てのシーズンは負け越しした。
1970年11月8日、生まれつき右足のつまさきから先のない障害を持ったキッカーのトム・デンプシーがNFL記録となる63ヤードのFGを決めて19-17でデトロイト・ライオンズを破った。この記録は1999年にジェイソン・イーラムがタイ記録を達成したが未だに破られていない。
1980年チームは開幕から14連敗した。地元メディアのスポーツキャスター、Buddy Dilibertoが観衆に紙袋をかぶってホームゲームで応援することを提案した[2]。Aintsと書いた紙袋をかぶり目の部分だけくりぬいて観戦するパフォーマンスはその後、NFLだけでなくアメリカのチームスポーツにおいて急速に拡がり不甲斐ないシーズンを送るチームの応援にはしばしば見られるようになった。この年、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦ではハーフタイムを35-7とリードしながら後半ジョー・モンタナに率いられた相手オフェンスを止められずに35-38で敗れるという当時のNFL記録となる28点差のリードからの逆転負けを喫した[3][4]。
1985年にチームは現在のオーナーであるトム・ベンソンによって購入された。ジム・フィンクスがGMに、ジム・E・モーラ(現シアトル・シーホークスヘッドコーチのジム・L・モーラは彼の息子である。)がヘッドコーチとなった。1987年に12勝3敗で創設以来初の勝ち越しを決めてプレーオフに進出した。1990年から1992年までの3年間はドームパトロールと呼ばれたパット・スウィリング、リッキー・ジャクソン、サム・ミルズ、ヴォーン・ジョンソンの4人のLBを中心とした強力なディフェンスでプレーオフに出場、1991年には初の地区優勝も果たした。ジム・モーラはチームを4回プレーオフに導いたがプレーオフでチームは1勝もできず、3勝13敗に終わる1996年シーズン途中に辞任した。
1997年から元シカゴ・ベアーズのヘッドコーチ、マイク・ディトカ(第20回スーパーボウル優勝経験がある。)をヘッドコーチとして迎えたが1997年、1998年とチームは6勝10敗に終わった。1999年のNFLドラフトでディトカはその年の全指名権、翌年のドラフト1巡、3巡指名権と引き替えにワシントン・レッドスキンズからドラフト全体5番目の指名権を獲得、リッキー・ウィリアムスを獲得した。しかしこの年チームは3勝13敗に終わりディトカとGMのビル・クハリッチは解任された。
2000年から2005年まではジム・ハスレットがヘッドコーチとしてチームの指揮を執った。2000年チームは2度目の地区優勝を果たしプレーオフに進出、セントルイス・ラムズを破りプレーオフ初勝利をあげたが翌週の試合でミネソタ・バイキングスに敗れた。GMのランディ・ミューラーはこの年のNFLエクゼクティブ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたが2002年シーズン開幕前にベンソンオーナーによって解任された。2002年、ヒューストン・テキサンズの加入によって地区の再編が行われた際にNFC南地区に移った。この年チームは第37回スーパーボウル優勝を果たすタンパベイ・バッカニアーズに2勝したが前年に続きプレーオフを逃した(スーパーボウルチャンピオンに2勝してプレーオフに出場できなかったのは1995年にワシントン・レッドスキンズがダラス・カウボーイズに2勝したシーズン以来のことであった。)。2003年は8勝8敗でプレーオフ進出はならず、2004年は開幕6試合で2勝4敗、12試合終了時点で4勝8敗とハスレットヘッドコーチの首が危うい状況であったがそこからチームは4連勝し8勝8敗となりプレーオフ争いをしていたラムズ、バイキングスと8勝8敗で並んだ。NFCチームとの成績がラムズが7勝5敗、セインツが6勝6敗、バイキングスが5勝7敗でありラムズがワイルドカード1つ目の椅子を手に入れ、セインツとの直接対決を制していたバイキングスがもう1つの椅子を手に入れ惜しくもプレーオフ出場を逃した。ハリケーン・カトリーナの被害によって本拠地スーパードームでプレイできなかった2005年、チームは3勝13敗の成績に終わりハスレットは解任された。
2006年3月23日、チームはプレシーズンゲームをシュリーブポート及びミシシッピ州ジャクソンで行うと発表した。4月6日にレギュラーシーズンのホームゲームをスーパードームで行うことが発表され9月25日に行われるマンデーナイトフットボールでのアトランタ・ファルコンズ戦がスーパードームでの2シーズンぶりの試合となった。この試合に23-3で勝利した。観衆は70,003人入りESPNのNFL中継としては過去最高の11.8%の視聴率となりおよそ全米の1085万家庭が視聴した。試合前にはグリーン・デイ、U2がWake Me Up When September Ends、The Saints Are Comingで盛り上げた。12月17日チームはNFC南地区(2002年に新設)を初制覇し3回目の地区優勝を決めた。ショーン・ペイトンヘッドコーチはチーム史上2人目となる就任1年目で地区優勝を果たしたコーチとなった。その後プレーオフ1回戦のシードも決まりディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを27-24で破りNFCチャンピオンシップゲームを決めた。3勝13敗からカンファレンスチャンピオンシップゲームに出場を決めたのは1999年にセントルイス・ラムズが前年の4勝12敗から進出した記録を破るNFL新記録となった。セインツがプレーオフで勝利したのはそれまでワイルドカードプレーオフでの勝利しかなくチャンピオンシップゲーム出場は初のことであった。2007年1月21日に行われた試合で14-39でシカゴ・ベアーズに敗れ第41回スーパーボウル出場はならなかった。
2007年開幕戦でスーパーボウルチャンピオンのインディアナポリス・コルツに10-41で敗れ、続く3試合に連敗した。開幕4連敗した後、4連勝したが7勝7敗から最後の2試合に連敗し最終的に7勝9敗でシーズンを終えた。
2008年、チームは2009年のドラフト2巡と5巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジャイアンツからジェレミー・ショッキー、2009年のドラフト4巡指名権と引き替えにニューヨーク・ジェッツからジョナサン・ヴィルマを補強した。
2009年4月30日、ベンソンオーナーと地元自治体は少なくとも2025年まではセインツがニューオーリンズに残留することについて合意したことを発表した[5]。
2009年、チームは開幕から13連勝を果たしパーフェクトシーズンの期待が高まったが第15週にダラス・カウボーイズに敗れ連勝は止まった。シーズンでは結局13勝3敗の成績を残し、NFC南地区優勝。チーム史上初となる第1シードとしてのプレーオフ出場。ディビジョナルプレイオフではアリゾナ・カーディナルスに45-14で勝利。続くNFCチャンピオンシップではミネソタ・バイキングスと対戦。第4クオーター終了時点で28-28の同点となる接戦となったが、コイントスで先攻をとったセインツが延長でFGを決め、31-28で勝利し、チーム史上初のNFCチャンピオンとなった[6]。そして、同時にチーム史上初のスーパーボウル進出を果たし、第44回スーパーボウルではインディアナポリス・コルツを31-17で破り初制覇を果たした[7]。
2010年、地区優勝はアトランタ・ファルコンズに譲ったもののワイルドカードでプレーオフに出場を果たした。プレーオフ初戦はNFL史上初めて負け越したもののプレーオフ出場を果たしたシアトル・シーホークスとの対戦で、セインツが有利と見られていたが36-41で敗れた[8]。
2011年、ブリーズがダン・マリーノが持っていたシーズンパス獲得ヤード記録を破る5476ヤードを投げた[9]。チームは2年ぶりの地区優勝を果たしワイルドカードプレーオフでデトロイト・ライオンズを破ったが[10]、ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに32-36で敗れた[11]。シーズン終了後、ディフェンスの強化に貢献のあったグレッグ・ウィリアムズディフェンスコーディネーターがラムズに去り、ラムズのヘッドコーチを務めていたスティーブ・スパヌオーロが後任となった[12]。
成績
NFC南地区
NFC西地区
- SF:サンフランシスコ・49ERS、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス
- 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
- 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
2001 | StL(1s) | 14 | 2 | 0 | SF(5w) | 12 | 4 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | CAR | 1 | 15 | 0 |
2000 | NO(3d) | 10 | 6 | 0 | StL(6w) | 10 | 6 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | SF | 6 | 10 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 |
1999 | StL(1v) | 13 | 3 | 0 | CAR | 8 | 8 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | SF | 4 | 12 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
1998 | ATL(2s) | 14 | 2 | 0 | SF(4d) | 12 | 4 | 0 | NO | 6 | 10 | 0 | CAR | 4 | 12 | 0 | StL | 4 | 12 | 0 |
1997 | SF(1c) | 13 | 3 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | NO | 6 | 10 | 0 | StL | 5 | 11 | 0 |
1996 | CAR(2c) | 12 | 4 | 0 | SF(4d) | 12 | 4 | 0 | StL | 6 | 10 | 0 | ATL | 3 | 13 | 0 | NO | 3 | 13 | 0 |
1995 | SF(2d) | 11 | 5 | 0 | ATL(6w) | 9 | 7 | 0 | StL | 7 | 9 | 0 | CAR | 7 | 9 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 |
1994 | SF(1v) | 13 | 3 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | RAM | 4 | 12 | 0 | ||||
1993 | SF(2c) | 10 | 6 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | RAM | 5 | 11 | 0 | ||||
1992 | SF(1c) | 14 | 2 | 0 | NO(4w) | 12 | 4 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | RAM | 6 | 10 | 0 | ||||
1991 | NO(3w) | 11 | 5 | 0 | ATL(6d) | 10 | 6 | 0 | SF | 10 | 6 | 0 | RAM | 3 | 13 | 0 | ||||
1990 | SF(1c) | 14 | 2 | 0 | NO(6w) | 8 | 8 | 0 | RAM | 5 | 11 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | ||||
1989 | SF(1v) | 14 | 2 | 0 | RAM(5c) | 11 | 5 | 0 | NO | 9 | 7 | 0 | ATL | 3 | 13 | 0 | ||||
1988 | SF(2v) | 10 | 6 | 0 | RAM(5w) | 10 | 6 | 0 | NO | 10 | 6 | 0 | ATL | 5 | 11 | 0 | ||||
1987 | SF(1d) | 13 | 2 | 0 | NO(4w) | 12 | 3 | 0 | RAM | 6 | 9 | 0 | ATL | 3 | 12 | 0 | ||||
1986 | SF(3d) | 10 | 5 | 1 | RAM(5w) | 10 | 6 | 0 | ATL | 7 | 8 | 1 | NO | 7 | 9 | 0 | ||||
1985 | RAM(2c) | 11 | 5 | 0 | SF(5w) | 10 | 6 | 0 | NO | 5 | 11 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | ||||
1984 | SF(1v) | 15 | 1 | 0 | RAM(4w) | 10 | 6 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | ATL | 4 | 12 | 0 | ||||
1983 | SF(2c) | 10 | 6 | 0 | RAM(5d) | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | ||||
1982 | ATL(5w) | 5 | 4 | 0 | NO | 4 | 5 | 0 | SF | 3 | 6 | 0 | RAM | 2 | 7 | 0 | ||||
1981 | SF(1v) | 13 | 3 | 0 | ATL | 7 | 9 | 0 | LA | 6 | 10 | 0 | NO | 4 | 12 | 0 | ||||
1980 | ATL(1d) | 12 | 4 | 0 | LA(5w) | 11 | 5 | 0 | SF | 6 | 10 | 0 | NO | 1 | 15 | 0 | ||||
1979 | LA(3s) | 9 | 7 | 0 | NO | 8 | 8 | 0 | ATL | 6 | 10 | 0 | SF | 2 | 14 | 0 | ||||
1978 | LA(1c) | 12 | 4 | 0 | ATL(4d) | 9 | 7 | 0 | NO | 7 | 9 | 0 | SF | 2 | 14 | 0 | ||||
1977 | LA(2d) | 10 | 4 | 0 | ATL | 7 | 7 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | NO | 3 | 11 | 0 | ||||
1976 | LA(3c) | 10 | 3 | 1 | SF | 8 | 6 | 0 | ATL | 4 | 10 | 0 | NO | 4 | 10 | 0 | SEA | 2 | 12 | 0 |
1975 | LA(2c) | 12 | 2 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | ATL | 4 | 10 | 0 | NO | 2 | 12 | 0 | ||||
1974 | LA(c) | 10 | 4 | 0 | SF | 6 | 8 | 0 | NO | 5 | 9 | 0 | ATL | 3 | 11 | 0 | ||||
1973 | LA(d) | 12 | 2 | 0 | ATL | 9 | 5 | 0 | SF | 5 | 9 | 0 | NO | 5 | 9 | 0 | ||||
1972 | SF(d) | 8 | 5 | 1 | ATL | 7 | 7 | 0 | LA | 6 | 7 | 1 | NO | 2 | 11 | 1 | ||||
1971 | SF(c) | 9 | 5 | 0 | LA | 8 | 5 | 1 | ATL | 7 | 6 | 1 | NO | 4 | 8 | 2 | ||||
1970 | SF(c) | 10 | 3 | 1 | LA | 9 | 4 | 1 | ATL | 4 | 8 | 2 | NO | 2 | 11 | 1 |
NFL東カンファレンス・首都地区
- DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はc:カンファレンス決勝敗退
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1969 | DAL(c) | 11 | 2 | 1 | WAS | 7 | 5 | 2 | NO | 5 | 9 | 0 | PHI | 4 | 9 | 1 |
NFL東カンファレンス・世紀地区
- PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、CLE:クリーブランド・ブラウンズ、StL:セントルイス・カージナルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はn:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1968 | CLE(n) | 10 | 4 | 0 | StL | 9 | 4 | 1 | NO | 4 | 9 | 1 | PIT | 2 | 11 | 1 |
NFL東カンファレンス・首都地区
- DAL:ダラス・カウボーイズ、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、NO:ニューオーリンズ・セインツ
- 括弧内の文字はn:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
- プレイオフは地区優勝チームのみ出場
年 | 地区優勝 | 2位 | 3位 | 4位 | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | チーム | 勝 | 負 | 分 | |
1967 | DAL(n) | 9 | 5 | 0 | PHI | 6 | 7 | 1 | WAS | 5 | 6 | 3 | NO | 3 | 11 | 0 |
主な選手
永久欠番
- 31 ジム・テイラー
- 51 サム・ミルズ
- 57 リッキー・ジャクソン
- 81 ダグ・アトキンス
プロフットボール殿堂入り
- ダグ・アトキンス DE 1967-1969
- アール・キャンベル RB 1984-1985
- ジム・フィンクス GM 1986-1993
- リッキー・ジャクソン LB 1981-1993
- ハンク・ストラム HC 1976-1977
- ジム・テイラー FB 1967
- マイク・ディトカ HC 1997-1999(殿堂入りした理由は1961年から1972年までシカゴ・ベアーズの選手としての実績)
- トム・フィアーズ HC 1967-1970(殿堂入りした理由は1948年から1956年までの選手としての実績)
- ウィリーローフ OT
歴代ヘッドコーチ
- トム・フィアーズ (1967-1970)
- J.D.ロバーツ (1970-1972)
- ジョン・ノース (1973-1975)
- アーニー・ヘフェール (1975)
- ハンク・ストラム (1976-1977)
- ディック・ノーラン (1978-1980)
- ディック・スタンフェル (1980)
- バム・フィリップス (1981-1985)
- ウェイド・フィリップス (1985)
- ジム・E・モーラ (1986-1996)
- リック・ベンチュリ (1996)
- マイク・ディトカ (1997-1999)
- ジム・ハスレット (2000-2005)
- ショーン・ペイトン (2006-2011)
- アーロン・クロマー (2012)
- ジョー・ビット(2012- )
ギャラリー
- Tom Benson at 10-7-05 Saints practice 20051014162544 crop.jpg
トム・ベンソンオーナー
- Saintsations cheerleaders.jpg
チアリーダーのセンセーションズ
- Drew Brees Saints 2008.jpg
- Scott Fujita 11-13-07 071113-N-7427G-004.jpg
- New Orleans Saints at Tiger Stadium.jpg
2007年タイガースタジアムでのホームゲーム
脚注
外部リンク
テンプレート:Sister テンプレート:ニューオーリンズ・セインツ先発QB
- ↑ The Louisiana Superdome
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ VHS 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO ISBN4-16-911614-3
- ↑ セインツ、ニューオリンズに2025年まで残留へ 自治体と合意 NFL JAPAN 2009年5月1日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web