南諸県郡
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南諸県郡(みなみもろかたぐん)は鹿児島県にかつて存在した郡である。1883年鹿児島県から分立し宮崎県が再置されたことで、諸県郡が2県に分かれた状態となったために誕生した郡(宮崎県の部分は北諸県郡となった)。 もともと日向国であったため、言語面でも諸県弁と共通する特徴が多く、アクセントは都城市などと同様の統合一型アクセントを用いる。
沿革
廃藩置県までは日向国諸県郡。
- 明治4年11月14日(1871年) - 都城県発足(都城県諸県郡)。
- 1873年(明治6年)1月15日 - 都城県・美々津県が合併し旧宮崎県が発足(宮崎県諸県郡)。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 宮崎県が鹿児島県に統合される(鹿児島県諸県郡)。
- 1883年(明治16年)5月9日 - 宮崎県の再置により、諸県郡が2県に分かれる形となる(宮崎県諸県郡・鹿児島県諸県郡)。
- 1883年(明治16年)6月 - 諸県郡のうち鹿児島県に留まった部分が南諸県郡となる。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 東囎唹郡と統合されて囎唹郡となり、大隅国に編入された。
郡内の自治体
郡役所ははじめ垂水(大隅郡)に、1887年以降岩川(東囎唹郡)に併置された。
- 1889年4月時点
- 1891年2月以降
- 東志布志村(現・志布志市志布志町)
- 西志布志村(現・志布志市有明町)
- 月野村(現・曽於市大隅町月野)
- 松山村(現・志布志市松山町)
- 大崎村(現・大崎町)
- 野方村(現・大崎町野方、曽於市大隅町荒谷、志布志市有明町山重)