新韓国党

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テンプレート:Infobox 新韓国党(しんかんこくとう)は韓国にかつて存在した保守政党金泳三政権後半期の与党でもある。

概要

1995年12月6日、金泳三政権(1993~1998)の与党であった民主自由党[1][2]が党名改称するかたちで発足したが、背景には盧泰愚前大統領の秘密資金疑惑問題で傷ついた党のイメージを刷新する目的があった[3][4]

1996年4月の第15代国会議員総選挙では、野党が強い地域とされていたソウル特別市で第一党になるなど善戦した。翌1997年11月21日金大中が結党に関わりソウル市長を務めた趙淳が率いていた統合民主党[5]と合同して「ハンナラ党」を創党、現在に至っている。

党勢の推移

総選挙

年月日 議席数
(地域区+全国区)
得票率
1996年4月11日 第15代総選挙 139 (121+18) 34.5%

脚注

  1. 1990年2月9日全斗煥・盧泰愚政権の与党であった民主正義党、第2野党の統一民主党(総裁:金泳三)、第3野党の新民主共和党(総裁:金鍾泌)の三党が合同して発足した保守政党である。
  2. なお、民自党内における主導権争いに敗れた金鍾泌は1995年1月に離党し自由民主連合(自民連)を結成していた。
  3. 「民自党、党名変更へ 盧イメージの一掃狙う」朝日新聞1995年11月23日付9面(縮刷版1995年11月号1071頁)
  4. 今日の歴史(12月6日) 聨合ニュース 2008/12/06
  5. 1995年当時、野党第一党であった民主党が、金大中の政界復帰と新党結成(新政治国民会議)で分裂後、改革新党と統合して1995年12月に結成された政党。

関連項目


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