リンブルフ州 (オランダ)
テンプレート:基礎情報 行政区画 リンブルフ州(Limburg)は、オランダ南東部の州。州都はマーストリヒト。北はヘルダーラント州、北西は北ブラバント州。南西はベルギーのリンブルフ州、南はベルギーのリエージュ州、東はドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州と境界を接する。
州名
州名の由来は、リンブルフを参照。
歴史
現在、リンブルフ州となっている地域は、中世期には、神聖ローマ帝国を構成する複数の領邦国家(リンブルク伯領、ブラバント公国、ゲルデルン公国、ユーリヒ公国、リエージュ司教領、ケルン大司教領)によって分割統治されていた。その後、カール5世によって、ネーデルラント17州がハプスブルク家の支配下に統合される。リンブルフはナポレオンの時代にフランス帝国に併合されるが、1815年、ウィーン会議によりネーデルラント連合王国領となる。1830年にネーデルラント南部諸州がベルギーとして独立すると、リンブルフは州都マーストリヒト以外の全域はベルギーの実効支配下に置かれた。1839年、ロンドンにおいて条約が締結され、リンブルフの東側半分をオランダ領、西側半分をベルギー領として分割されることになった。オランダ側のリンブルフは、1866年まで「リンブルク公国」の名でドイツ連邦に加盟した。「公国」の名は、その後も1906年まで州の公式名称であった。
第一次世界大戦ではオランダの中立政策が成功し、被害を免れたが、第二次世界大戦では州の全域が戦場となり、両軍の兵士のみならず多くの民間人が犠牲となった。
1991年12月7日、欧州共同体(EC)首脳会議がマーストリヒトで開催され、欧州連合(EU)創設、通貨統合を目的とするマーストリヒト条約を採択、翌1992年2月7日に調印した。
地理
北部ではマース川が中央を縦断し、南部ではマース川がベルギーとの国境となり、その東側が領域となる。オランダ12州の中で最も標高の高い土地である。
自治体
- アムブト・モントフォルト (Ambt Montfort)
- アルセン・エン・フェルデン (Arcen en Velden)
- ベーク (Beek)
- ベーセル (Beesel)
- ベルヘン (Bergen)
- ブルンスム (Brunssum)
- エヒト・スステレン (Echt-Susteren)
- エイスデン (Eijsden)
- ヘネプ (Gennep)
- フルペン・ヴィッテム (Gulpen-Wittem)
- ハーレン (Haelen)
- ヘール (Heel)
- ヘールレン (Heerlen)
- ヘルデン (Helden)
- ヘイタイセン (Heythuysen)
- ホルスト・アーン・デ・マース (Horst aan de Maas)
- フンセル (Hunsel)
- ケルクラーデ (Kerkrade)
- ケッセル (Kessel)
- ラントフラーフ (Landgraaf)
- マースブラハト (Maasbracht)
- マースブレー (Maasbree)
- マーストリヒト (Maastricht)
- マルフラーテン (Margraten)
- メールロ・ヴァンスム (Meerlo-Wanssum)
- メールセン (Meerssen)
- メイエル (Meijel)
- モーク・エン・ミデラール (Mook en Middelaar)
- ネーデルヴェールト (Nederweert)
- ヌト (Nuth)
- オンデルバンケン (Onderbanken)
- ルールダーレン (Roerdalen)
- ルールモント (Roermond)
- ロッヘル・エン・ネール (Roggel en Neer)
- スヒネン (Schinnen)
- セーフェヌム (Sevenum)
- シンペルフェルト (Simpelveld)
- シッタート・ヘレーン (Sittard-Geleen)
- スタイン (Stein)
- スヴァルメン (Swalmen)
- トルン (Thorn)
- ファールス (Vaals)
- ファルケンブルフ・アーン・デ・フール (Valkenburg aan de Geul)
- フェンロー (Venlo)
- フェンライ (Venray)
- フーレンダール (Voerendaal)
- ヴェールト (Weert)
スポーツ
サッカー
リンブルフ州に本拠地を置くプロサッカークラブ。1部リーグ(エールディヴィジ)と2部リーグ(エールステ・ディヴィジ)の双方を含む。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- リンブルフ州公式サイト (オランダ語・英語・ドイツ語・フランス語)