持永和見
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持永 和見(もちなが かずみ、1927年7月1日 - )は、日本の官僚・政治家。自由民主党宏池会所属の衆議院議員で5期務めた。宮崎県都城市出身。弟は元自治事務次官の持永堯民。
略歴
- 1953年 東京大学法学部卒業後、厚生省に入省
- 社会保険庁長官官房総務課課長補佐
- 1967年9月26日 経済企画庁総合計画局計画官(国民生活部門計画担当)
- 1970年6月2日 社会保険庁年金保険部業務課長
- 1972年2月1日 厚生省年金局資金課長
- 1973年7月27日 厚生省年金局企画課長
- 1976年6月1日 厚生省大臣官房会計課長
- 1978年6月23日 社会保険庁年金保険部長
- 1980年5月27日 厚生省援護局長
- 1981年8月26日 厚生省薬務局長
- 1983年8月26日 厚生省社会局長
- 1984年8月28日 社会保険庁長官
- 1985年8月27日 依願退官
厚生省時代
薬害エイズ事件当時の薬務局長で、当時の方策について選挙のたびごとに批判を受けてきた。旧ミドリ十字の非加熱製剤を指定した当時、内藤良一ミドリ十字社長の死後、生え抜き組らを押さえ込む形で旧厚生省出身者で前薬務局長の松下康蔵が社長を勤めていたことをはじめ、主だった旧厚生省事務系幹部の天下り先となっていた旧ミドリ十字との癒着を指摘されていた。
衆議院議員時代
1986年衆院選に出馬し初当選、以後5期連続務める。
- 1990年12月29日 大蔵政務次官(1991年11月5日まで)
- 1994年9月30日 衆議院環境委員長(1995年1月20日まで)
- 1999年10月5日 総務総括政務次官(2000年4月5日まで)
- 2000年4月5日 総務総括政務次官(再任、2000年7月4日まで)
- 2001年1月31日 衆議院決算行政監視委員長 (2002年1月21日まで)
ミドリ十字から政治献金を受けていることが、常に逆風となり選挙では苦しみつづけていた。
2003年11月の第43回衆議院議員総選挙には出馬せず引退。地盤の宮崎3区に、息子で元経産官僚の持永哲志が後継者として出馬するが落選。
関連項目
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
衛藤征士郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院決算行政監視委員長
2001年 - 2002年
|style="width:30%"|次代:
渡海紀三朗
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
奥田幹生
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院環境委員長
1994年 - 1995年
|style="width:30%"|次代:
阿部昭吾
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