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堀田 正邦(ほった まさくに、享保19年(1734年)- 明和9年6月2日(1772年7月2日))は、近江宮川藩の第4代藩主。堀田家宗家6代。
第3代藩主・堀田正陳の長男。母は水谷勝比の娘。正室は館林藩主・太田資晴の娘。継室は中津藩主・奥平昌成の娘。子は正穀(長男)、娘(戸田忠従正室のち松平信寅継々室)。官位は従五位下、出羽守。
幼名は三四郎。宝暦3年(1753年)、父の死去により跡を継ぐ。宝暦8年(1758年)大番頭になった。
明和9年(1772年)6月2日、39歳で死去し、跡を長男の正穀が継いだ。法号は実円常性諦了院。墓所は江戸浅草の金蔵寺。
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