池田政員
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池田 政員(いけだ まさかず、元文2年10月23日(1737年11月15日) - 明和4年1月29日(1767年2月27日))は、備中国生坂藩の第3代藩主。
第2代藩主・政晴の次男。母は池田政倚の娘。正室は池田政純(池田綱政五男)の娘。官位は従五位下、中務少輔。幼名は泰太郎。通称は伊織。子は池田政良、秀次郎(両人とも公式には弟政弼の子とされた)[1]。
寛延元年(1748年)、父の死去で跡を継ぐ。明和4年(1767年)正月29日、31歳で死去した。法名は承徳院殿佑邦宗賢大居士。跡を弟の政弼が継いだ。
脚注
テンプレート:生坂藩主- ↑ 大森映子『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)p.59-63