奥戸
テンプレート:Pathnav 奥戸(おくど)は、東京都葛飾区南部の地名である。現行行政地名は奥戸一丁目から九丁目。住居表示実施済み区域である。2005年7月1日現在の人口は20,223人。郵便番号は124-0022である。
地理
葛飾区南部に位置する。北で高砂・細田、東には江戸川区西小岩・上一色、南は東新小岩、西は中川を挟んで立石・東立石と隣接する。町域内は住宅地として利用されるが、森永乳業をはじめとする工場や、近郊農地がわずかに残っている。現在その多くは宅地造成されているものの、中川や農業用水路に挟まれた古くからの低湿地帯である。
東京都道318号環状七号線(環七通り)が町の中央を南北に走っており、奥戸街道が町を東西に横切っている。奥戸一 - 八丁目は新中川南西岸に所在するが、九丁目のみは北東岸に分断された形で位置する。後述するように、かつては奥戸全域が陸続きであったが、この町域分断は後に新中川が開削されたことによって形成された。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、奥戸6-17-15の地点で23万3000円/m2となっている。[1]
歴史
元南葛飾郡奥戸村の中心地であり、新中川の三和橋付近に町役場があった(跡地は水没)。1930年に町に昇格し、1932年に奥戸町は葛飾区に編入された。旧奥戸村の区域は、現在の奥戸のほか、高砂、細田、鎌倉や東新小岩、新小岩、西新小岩の各一部に相当する。第二次大戦後、町域東側に新中川(中川放水路)が開削され、1963年3月に開通した。
地名の由来
町域西端には古くより中川が流れており、船による河川を利用した水運が発達していたことから、「奥津」となっていたものが転訛して「奥戸」になったと考えられている。
交通
町内に鉄道駅がない代わりに、葛飾区の要請により新小岩駅、亀有駅、京成立石駅、小岩駅などからの京成タウンバス路線が発達している。
道路・橋梁
- 道路
環七通りは奥戸陸橋下交差点で奥戸街道と交差する。
- 橋梁
施設
- 公共施設
- 教育機関
- 商業・企業
史跡
- 鬼塚
- 水神社
- 善紹寺
- 宝蔵院 - 真言宗豊山派の寺院。応永2年(1395年)創立、天文(1538年)の国府台の合戦で焼失、慶長17年(1612年)に再興された。井上靖の碑や柳原白蓮の歌碑がある。
- 八剱神社