大仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大仁(だいにん)は、604年[1]から648年まで日本にあった冠位である。冠位十二階の第3で、小徳の下、小仁の上にあたる。
概要
推古天皇11年12月5日(604年1月11日)に制定された。大化3年(647年)制定の七色十三階冠制により、翌大化4年(648年)4月1日に廃止になった[2]。13階のどこに引き継がれたかについては2説が対立する。大仁と小仁を13階中第8階の小錦にまとめたとする説[3]。13階中第9階の大青一つに対応するという説である[4]。
大仁の人物
史料に見える大仁は12人いる[5]。
- 鞍作鳥 - 推古天皇14年(606年)5月5日任。(日本書紀[6])
- 小野妹子? - 推古天皇16年(608年)。(先代旧事記)
- 矢田部御嬬 - 推古天皇22年(614年)。(先代旧事記)
- 秦川勝 - (上宮聖徳太子伝補欠記)
- 膳清国 - (聖徳太子伝暦)
- 犬上三田耜 - 舒明天皇2年(630年)8月5日。遣唐使。(日本書紀)
- 薬師恵日 - 舒明天皇2年(630年)8月5日。遣唐使。(日本書紀)
- 上毛野形名 - 舒明天皇9年(637年)。蝦夷征討の将軍。(日本書紀)
- 船王後 - 舒明天皇13年(641年)12月3日死。(船首王後墓誌)
- 阿曇比羅夫 - 皇極天皇元年(642年)1月29日。遣百済使。(日本書紀)
- 土師娑婆 - 皇極天皇2年(643年)11月1日死。(日本書紀)
- 神主久遅良 (豊受太神宮祢宜補任次第)
脚注
- ↑ 推古天皇11年はおよそ603年にあたるが、西暦(ユリウス暦)とのずれのため、604年になる。
- ↑ それぞれ『日本書紀』巻第22の推古天皇11年12月壬申(5日)条と、巻第25の大化3年是歳条、大化4年4月辛亥朔(1日)条。
- ↑ 黛弘道『律令国家成立史の研究』の301頁と365頁。
- ↑ 武光誠『日本古代国家と律令制』3頁。増田美子『古代服飾の研究』120頁。
- ↑ 以下の一覧は黛弘道『律令国家成立史の研究』304-305頁。
- ↑ 『日本書紀』巻第22、推古天皇14年5月戊午(5日)条。以下、『日本書紀』については該当年月条による。
参考文献
- 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校訂・訳『日本書紀』2、小学館(新編日本古典文学全集 3)、1996年。
- 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校訂・訳『日本書紀』3、小学館(新編日本古典文学全集 4)、1998年。
- 黛弘道『律令国家成立史の研究』、吉川弘文館、1982年。
- 武光誠『日本古代国家と律令制』、吉川弘文館、1984年。
- 増田美子『古代服飾の研究』、源流社、1995年。