ヘンリエッタ・スワン・リービット
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ヘンリエッタ・スワン・リービット(Henrietta Swan Leavitt 、1868年7月4日 - 1921年12月12日)はアメリカの女性天文学者である。
1868年に牧師の娘としてマサチューセッツ州ランカスターに生まれた。オハイオ州のオベリン大学を経て、ハーバード大学ラドクリフ・カレッジに学び、1892年に卒業した。そのころ病気により聴覚障害を持つことになった。
当時、女性が科学分野で働く機会は少なかったが、天文学への写真の利用に伴って、写真データの整理を行なう仕事に女性が雇われるようになり、彼女もハーバード大学の天文台で働くようになった。同天文台では、写真データから変光星を探し出し、カタログに記録するという仕事に従事した。
1904年にエドワード・ピッカリングの命を受けてアフリカに渡り、ブルームフォンテーン天文台で16枚のマゼラン雲の写真を撮影し1905年に戻った。この原板を調査して1908年には大マゼラン雲808個、小マゼラン雲969個、合計1777個の変光星の一覧表を作り、最終的には2400個以上もの変光星を発見するという偉業を成し遂げた。
ケフェイド変光星の変光周期と光度との間に相関があることを発見し、1912年に小マゼラン雲内の32個のケフェイド変光星の周期に関する研究を発表した。この発見は天体までの距離の測定に利用され、後に渦巻星雲や楕円型の星雲が銀河系内の天体か銀河系外の天体かについての大論争に決定的な影響を与えることになった[1]。
脚注
- ↑ 『クラシックカメラ専科No.17、フォクトレンダーのすべて』p.47。
参考文献
- 『クラシックカメラ専科No.17、フォクトレンダーのすべて』朝日ソノラマテンプレート:Link GA