タジク・ソビエト社会主義共和国
タジク・ソビエト社会主義共和国(タジク・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく)は、ソビエト社会主義共和国連邦の構成共和国の1つ。1991年9月9日、タジキスタン共和国として独立した。
建国
1917年11月から1918年2月にかけて、タジキスタン北部にソビエト権力が樹立された。1918年末までに、ソビエト権力はタジキスタン全土に拡がった。1918年から1923年、赤軍は、白衛軍とバスマチを撃破した。民族別国家分画の政策の下、1924年10月14日、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の構成下にタジク自治ソビエト社会主義共和国が設立された。1929年12月5日、ソ連の構成下においてタジク・ソビエト社会主義共和国に昇格した。
タジキスタン共産党
タジキスタン共産党初期の党員は、南部人、カラテギン(沿パミール地区)、パミール及びクリャーブの一部の代表者から形成された。
1937年、最初にタジク革命政府を樹立した南部人は、完全に粛清された。第二次世界大戦後、ホジェンド出身者に権力が移った。
ホジェンド(旧レニナバード)出身者は、1980年代に至るまで権力を維持した。
消滅
1990年11月29日、大統領職が初めて設置され、11月30日、カハル・マフカモフがタジク・ソビエト社会主義共和国大統領に選出された。
1991年8月、野党は、大統領の退任、共産党の解散、1990年に採択されたイスラム復興党禁止法の再検討等の要求を出した。1991年8月31日、最高会議特別会議において、ソ連のクーデターと関連して共和国の政治状況及び指導部の立場に関する問題が審議された。最高会議の代議員達は、野党と連帯してマフカモフ大統領の不信任を表明し、彼は退任した。
1991年9月9日、タジキスタン共和国の独立が宣言され、ソ連から離脱して独立国家となった。9月10日、タジキスタン共和国大統領選挙法が採択され、11月24日、ラフモン・ナビエフが選出された。しかし、この後も政情は安定せず、タジキスタン内戦に突入する。