革新党

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革新党(かくしんとう)は、昭和初期(1927年6月3日1932年7月25日)に存在した政党。

1925年5月10日革新倶楽部立憲政友会と合同(正式な合同は14日)したが、この合同に反対した尾崎行雄清瀬一郎ら左派系は政友会への加入を拒否して一旦無所属となる。その後、30日に小政党・中正倶楽部とともに院内会派である新正倶楽部を結成した。

だが、左派系の中でも足並みが揃っていた訳ではなく、昭和に入った1927年に尾崎らと決別した関直彦・清瀬一郎・大竹貫一らは新党結成を模索、同年6月3日に革新党が結成された。

選挙粛正のための公営選挙導入を支持するなど、急進的な政治改革論を唱えていたが、議員数は数名に留まった。1932年安達謙蔵協力内閣運動に呼応して7月25日解散して安達の新党である国民同盟に合流した。