古川学園中学校・高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 古川学園中学校・高等学校(ふるかわがくえん ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、宮城県大崎市にある、私立の男女共学校。略称は「古学(ふるがく)」だが、年配者には旧校名の略称「古商(ふるしょう)」の呼び方が馴染み深い。
概要
2003年4月に古川商業高校から古川学園高校と改称(ただし、学校法人は以前から古川学園と称していた)。2008年に中学校を設立し中高一貫校となった。
2007年12月に高等学校必履修科目未履修問題が発覚、普通科進学コースで6科目(情報A、倫理、地理A、家庭、書道、保健)の未履修科目が判明した。
高校
- 普通科 進学コース
- 志望大学合格に向けた進学指導に力を入れている。キャッチフレーズは「心ある頭脳の育成」「燃える進学教育」。生徒、教師とも「絶対合格」と書かれた鉢巻を締めて授業を行うのが特徴。総合コースや情報ビジネス科とは異なり、土曜日も授業を行うため、仙台市の予備校へ通う生徒はほとんどいない。また、英検2級取得を目標とさせている。授業後の部活動は行わず、代わりに「進学研究会」と呼ばれる補習を毎日行っている。毎年5月に50キロ強歩大会(大崎市鳴子温泉~学校)をしている。
- 普通科 総合コース
- 進学から就職まで対応できるよう、幅広い科目を学習する。普通科でありながら、資格取得にも力を入れている。
- 情報ビジネス科
- 旧古川商業高校商業科時代と同様、専門科目(商業)に力を入れている。
中学校
仙台市を除き、宮城県で唯一の私立中学校。卒業後は入試なしで高校普通科進学コースへ入学できる。毎年5月に進学コースと合同で30キロ競歩大会(進学コースの区間の一部)をしている。 平成26年3月に第1期生が高校進学コースを卒業し、東京大学理科3類に1名、文科3類に1名を輩出している。
沿革
- 1954年 - 古川商業専修学校として4月1日付で設立(修業年限2年間)。10月1日付で古川高等商業学校(修業年限3年間)に改称。
- 1956年 - 学校法人石田学園 古川商業高等学校に改称(商業科、男女併学)
- 1964年 - 学校法人名を古川学園に改称する。
- 1986年 - 一般コース、進学コース設置。
- 1990年 - 普通科設置。
- 1994年 - 普通科にコース制導入(進学コース、総合コース)
- 2003年 - 古川学園高等学校に改称。商業科を情報ビジネス科に改称。
- 2004年 - 創立50周年記念式典。
- 2008年 - 古川学園中学校設立。
- 2011年 - 東日本大震災で南・北校舎が使用不可能となる(仮設校舎を建てて対応)
- 2014年 - 新校舎完成
部活動
高校の部活動は、普通科総合コースと情報ビジネス科の生徒が参加できる。普通科進学コースは部活動に参加できない。中学校は部活動がない。
- 女子バレーボール部
- 国分秀男監督時代は県大会以上の優勝150回。全国大会出場77回、うち全国制覇12回(私学大会2回を含む)。1999年には(春高バレー、インターハイ、国体)ですべて優勝し高校女子三冠を達成。1996年から1999年までは春高・インターハイとも4年連続出場という高校バレー史上初の快挙を果たす。
- 岡崎典生監督時代(現在)は、2009年に私学大会で優勝。三大大会は決勝で敗れ準優勝となることが多かったが、2010年にインターハイ、国体を制し二冠となる。
- 自転車競技部
- ロードレースでも全国大会の常連であり、1993年の全国選抜大会では個人・団体総合優勝を果たし、ジュニア国際大会でも活躍している。
学校行事
主な行事には、50キロ強歩、大学見学会、登山、スキー教室などがある。
交通
主な出身者
- 村田美穂(元バレーボール選手)
- 板橋恵(バレーボール選手、元女子日本代表)
- 菅山かおる(ビーチバレーボール選手、元バレーボール女子日本代表)
- 羽根翠(バレーボール選手、元女子日本代表)
- 大沼綾子(元バレーボール選手、元女子日本代表)
- 高橋めぐみ(バレーボール選手、元女子日本代表)
- 西堀健実(ビーチバレー女子日本代表)
- 西堀育実(ビーチバレーボール選手)
- 平山恵(元バレーボール選手)
- 冨田寧寧(元バレーボール選手)
- 三上彩(元バレーボール選手)
- 中野清香(バレーボール選手)
- 安藤康洋(元自転車競技選手・バルセロナ五輪日本代表)
- 門脇真由美(女子競輪選手)
- 佐藤あり紗(バレーボール選手、女子日本代表)