肉じゃが
概要
肉、じゃがいも、玉ねぎ、糸こんにゃくなどを油で炒めてから、醤油、砂糖、みりんで甘煮にしたもの。肉は、牛肉、豚肉、鶏肉などが使用される。またカレーライスと同じ素材を使うために補給の都合がよく[1]、水兵の食事として全国的に導入された。
この類の料理が「肉じゃが」と呼称されるのは、1970年代中盤以降である[2]。
誕生の経緯
1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後、艦上食として作らせようとした。しかし、ワインもドミグラスソースも無く、そもそも命じられた料理長はビーフシチューなど知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりという話がある。
しかし、当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューであったこと。また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、単なる都市伝説に過ぎないとする意見もある[1]。
発祥の地論争
京都府舞鶴市が1995年(平成7年)10月に「肉じゃが発祥の地」を宣言。1998年(平成10年)3月に広島県呉市も「肉じゃが発祥の地?」(最初に宣言した舞鶴市に配慮して"?"をつけた)として名乗りを上げた。
根拠は、
- 舞鶴市:東郷平八郎が初めて司令長官として赴任したのが舞鶴鎮守府であり、現存する最古の肉じゃがのレシピが舞鶴鎮守府所属艦艇で炊烹員をしていた故人から舞鶴総監部に寄贈されたものである。
- 呉市:東郷は、舞鶴赴任より10年前に呉鎮守府の参謀長として赴任している。
としている。
しかしながら資料が曖昧であり、最古のレシピが本当に舞鶴で作られたものなのか他の鎮守府から伝わったレシピを書き写したものではないのかという論争が決着していないため、両市とも大岡裁き的に「舞鶴・呉の双方が発祥地」としている。[3]
ご当地グルメとして
近年は、発祥地に関する「論争」を逆手に利用し、それぞれがライバル関係をアピールしながら連携して肉じゃがと海軍ゆかりの街をアピールする活動が多い。また、それぞれの街ではご当地グルメの肉じゃがが考案され、地域おこしに利用されている。
- まいづる肉じゃが
- 京都府舞鶴市で提供されているご当地グルメである。肉じゃがで街を活性化する目的で、市民有志によって「まいづる肉じゃがまつり実行委員会[4]」が結成され、市内の飲食店で販売されるようになった。材料には男爵いもを用いている。
- くれ肉じゃが
- 広島県呉市で提供されているご当地グルメである。肉じゃが発祥の地として当市をアピールするために地元の市民団体を中心に「くれ肉じゃがの会[5]」が結成され、会員店舗で販売されるようになった。材料にはメークインを用いている。
日本軍における調理法
陸海軍それぞれ、公的な教本などにレシピが記載されており、肉じゃがの調理法は両軍問わず日本軍内に広まっていた。
海軍厨業管理教科書
海軍経理学校で1938年(昭和13年)に刊行された『海軍厨業管理教科書』(舞鶴総監部保管)にはレシピが次のように紹介されている。
- 油入れ送気 ※軍艦の熱源である蒸気を窯に送って、加熱することを指す
- 3分後生牛肉入れ
- 7分後砂糖入れ
- 10分後醤油入れ
- 14分後こんにゃく、馬鈴薯入れ
- 31分後玉葱入れ
- 34分後終了
陸軍軍隊調理法
日本陸軍でも、レシピ集である『軍隊調理法』の中に、「肉と馬鈴薯の甘煮」という名称で肉じゃがの調理法が記述されていた。
脚注
関連項目
- アイリッシュシチュー - しばしばアイルランド風肉じゃがと呼ばれる。
- 日本の獣肉食の歴史テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ