上野山義直

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テンプレート:基礎情報 武士 上野山 義直(かみのやま よしなお)は、江戸時代初期の最上氏武将最上義光の五男。初名、光広(みつひろ/あきひろ)。

生涯

天正16年(1588年)の大崎合戦では叔母・義姫と戦場で面会し和議締結に尽力したともいうが、当時生まれていないため別の兄弟と考えたほうが妥当である。上山城の城主里見民部正光ら里見一族が最上義康殺害の事件で追放されると、新たに上山2万1000石を与えられる。最上一門では兄山野辺義忠を抜き、兄清水義親、弟大山光隆、従兄松根光広に次ぐ石高であり、前城主里見民部よりも高い石高である。元和8年(1622年)最上家の改易後、黒田忠之に客人としてお預けの身となったが、直後に切腹した。テンプレート:Japanese-history-stub