ア・コルーニャ
ア・コルーニャ(テンプレート:Lang-gl)[1]は、スペイン北西部の大西洋に面した港湾都市。ガリシア州ア・コルーニャ県の県都である。ガリシア統計局によれば、2013年の人口は245,923人(2012年:246,146人、2011年:246,028人、2010年:246,047人、2007年:244,388人)[2]で、ビーゴに次ぐガリシア州第2の都市。自治体の正式名称はガリシア語で、「ア・コルーニャ」だが、定冠詞なしの「コルーニャ」や、スペイン語の名称「ラ・コルーニャ」も使われる。住民の呼称はcoruñés、coruñesa(コルニェス、コルニェサ)。
近隣の自治体アベゴンド、アルテイショ、ベルゴンド、カンブレ、カラル、クジェレード、オレイロス、サダとコマルカ(コマルカ・ダ・コルーニャ、県と市の中間単位)を構成。
ア・コルーニャは大西洋における重要な港で、この地域の農産物の集散地となっている。造船業や金属加工業など重工業の多くは近隣のフェロルにあるが、ア・コルーニャには石油精製所が建てられている。
近隣の自治体アルテイショには、日本にも出店し、近年成長著しいアパレル産業のザラ(ガリシア語およびスペイン語読みではサラ)を展開するインディテックスの本拠地がある。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は27%(2001年)。
歴史
この地には、先ローマ時代から人間が住んでいた。紀元前62年にカエサルが訪れたときは、ケルト系のアルタブロス族がア・コルーニャとフェロルの湾に居住していた。ローマ人はこの地を「ブリガンティウム」を名付け、港を建設した。重要な港であったため、灯台エルクレスの塔が建てられた。ローマ時代のものとしては現存する唯一の灯台で、現在も利用されている。
「コルーニャ」の名は、ローマ人のオッピドゥムだった「カロニウム」(語源は不明)を由来としている。12世紀のフェルナンド2世の時代には「クルニア」の名が最初に文献に現れる。
中世には一時的にイスラム教徒に占拠された。アルフォンソ9世がこの地に住人を移し、1188年に特権を与えたために、旧市街の人口が増え始めた。アルフォンソ10世が塩の荷揚げと販売を無税としたために町は発展した。フアン2世は1446年に町に「都市」の称号を与えた。カルロス1世は香辛料の通商院を設立し、この施設の防衛のためにサン・アントン城を建設した。
16世紀、ア・コルーニャはイギリスのエリザベス1世とスペインのフェリペ2世との対立に巻き込まれた。1588年、リスボンを出発した無敵艦隊はア・コルーニャ港に寄港してからイギリス海峡に出撃し、大敗した。翌年、エリザベス1世はフランシス・ドレークの部隊をア・コルーニャに派遣した。町はマリア・ピタ(es)を先頭に侵略に対抗し、イギリス軍は修道院を焼いたのちに撤退した。
17世紀から18世紀にかけては、スペイン王国の継続的な戦争のために増税と徴兵が行われ、ア・コルーニャは不景気にみまわれた。スペイン継承戦争後には、景気は回復し、カタルーニャ企業家による製造業や輸出がさかんになった。
ナポレオンのフランスによる支配に対するスペイン独立戦争では1808年5月にフランス軍に占領された。ア・コルーニャはガリシアで唯一占領に抵抗した都市となった。1809年1月16日に英仏軍の間に起きたコルーニャの戦い(es)の結果イギリス軍は撤退したが、フランス軍も5月にガリシアを放棄した。戦後の1815年、フアン・ディアス・ポルリエル元帥が1812年憲法(カディス憲法)の復活を目指して反乱を起こしたが失敗した。
20世紀には人口と経済が拡大し、現在の市の面積の70%を占めるオサ地区(Oza)を編入。さまざまな産業が生まれ、港が強化され、近代的なビルが建設された。
人口
経済
金融ではスペインで2番目に古いバンコ・パストール(Banco Pastor)と現在スペイン有数の規模になったカイシャ・ガリシア(Caixa Galicia、正式名Caja de Ahorros de Galicia)の本店がある。
政治
自治体首長はガリシア国民党(PPdeG)のカルロス・ネグレイラ・ソウト(Carlos Negreira Souto)[3]、自治体評議員はガリシア国民党:14、ガリシア社会党(PSdeG-PSOE):8、ガリシア民族主義ブロック(BNG):4、ガリシア統一左翼(EU-V):1となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[4]。
首長当選者:フランシスコ・バスケス・バスケス(PSdeG-PSOE) |
首長当選者:フランシスコ・バスケス・バスケス(PSdeG-PSOE) |
首長当選者:フランシスコ・ハビエル・ロサーダ・デ・ |
首長当選者:カルロス・ネグレイラ・ソウト(PPdeG) |
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名所
- マリーナ大通り - 「ガラスの街」と呼ばれ、白い枠のガラス窓の建物が立ち並ぶ。
- サン・アントン城 - 岬の先端に建っている城塞。内部は考古学博物館になっている。
- ヘラクレスの塔 - ローマ時代に作られた灯台(現在の形になったのは18世紀)で世界で唯一現存。2009年世界遺産に登録された。。市街から2.4km、大西洋に囲まれた丘の上に建つ。
- ア・コルーニャ人間科学館 - 1995年に建てられた博物館。設計者は磯崎新。
- 水族館(es)
- 科学博物館(es)
ギャラリー
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マリーナ大通り
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ヘラクレスの塔
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マリア・ピタ広場と市庁舎
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サン・アントン城
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人間科学館
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交通
サンティアゴ・デ・コンポステーラからは鉄道やバスで45分から1時間。マドリードからの長距離列車は昼に1便(約8時間半)、寝台列車が1便ある。
市街から7kmにア・コルーニャ空港(Alvedro)があり、マドリードやバルセロナからの便がある。
教育・文化
市内には1989年創設のア・コルーニャ大学があり、フェロルにもキャンパスがある。
ビーゴに次ぐ出版の中心で、特にガリシアで最も読まれている日刊紙ラ・ボス・デ・ガリシアはここに本拠地を置く。
スポーツ
サッカークラブのデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャのホームタウンであり、同じガリシア州のビーゴにあるセルタ・デ・ビーゴとのガリシアダービーマッチは有名。
教区
市内は5つの教区に分けられる。 テンプレート:Colbegin
- ア・コルーニャ
- エルビーニャ(サン・ビセンソ)
- オサ(サンタ・マリーア)
- サン・クリストボ・ダス・ビーニャス(サン・クリストーボ)
- ビスマ(サン・ペドロ)
姉妹都市
参考文献・脚注
外部リンク
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- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 テンプレート:Cite web
- ↑ EU-IUはEsquerda Unida - Izquierda Unida(ガリシア統一左翼)、統一左翼の地域支部政党。
- ↑ DGはDemocracia Galega(民主主義ガリシア)、中道民族主義政党。
- ↑ EDEG-OVはEsquerda de Galicia - Os Verdes、ガリシア左翼=緑の党。
- ↑ AUTONOMOはPartido de los Autónomos y profesionales。
- ↑ PHはPartido Humanista(ヒューマニズム党)。
- ↑ PADEはPartido Demócrata Popular(国民民主党)、中道右派政党。
- ↑ DNはDemocracia Nacional(国民民主)、極右国粋主義政党。
- ↑ PGはPartido Galeguista(ガリシア主義党)、中道民族主義政党。
- ↑ COR.CO.B.A.はCoruñeses con Buenos Argumentos 2007、ローカル政党。
- ↑ PUM+JはPor un Mundo Más Justo(世界にもっと正義を)。
- ↑ IR-ERGはIzquierda Republicana-Esquerda Republicana Galega(ガリシア左翼共和党)、左翼共和党(Izquierda Republicana)のガリシア支部政党。
- ↑ CDSはCentro Democrático y Social(民主社会中道党)。
- ↑ PSdeG-PSOEとBNGとの連立政権。
- ↑ UCはUnión Coruñesa(コルーニャ連合)、ローカル政党。
- ↑ CGはUnión Progreso y Democracia(連合・進歩・民主主義)。
- ↑ PACMAはPartido Antitaurino Contra el Maltrato Animal、反闘牛動物愛護政党。
- ↑ SORTEOはSorteo político。
- ↑ Converxencia XXI(C.XXI):274票(0.23%)、Asamblea de Votación Electrónica(AVE):195票(0.17%)、Centro Democrático Unido Renovado(CDUR):134票(0.11%)。