ナサニエル・ホーソーン
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ナサニエル・ホーソーン(ナザニエル・ホーソーン、Nathaniel Hawthorne 1804年7月4日 – 1864年5月19日)は、アメリカ合衆国の小説家。日本語では「ホーソン」と表記されることもある。
父方の祖先である初代ウィリアム・ホーソーンはクエーカー教徒迫害に関与し、二代ジョン・ホーソーンはセイラム魔女裁判の判事を務めており、また、母方の祖先であるニコラス・マニングの姉達が近親相姦の嫌疑をかけられ迫害されると言う過去を持つため、善と悪や罪を扱った宗教的な内容の作品が多い。
彼が『緋文字』を発表し注目を集め始めていたころ、アメリカでは市場主義経済が発達し文学作品も「商品」としての色合いが強くなる。これにより文学の芸術的価値より大衆の評判が重要視され始めホーソーンはこのギャップに苦しむことになる。実際に彼の作品である『七破風の館』では登場人物にこの心境を投影してうわべの作品が大衆にはうける、といったことを訴えており、芸術家としての作家という考えを持っていた彼がその才能を存分に発揮できないジレンマや葛藤が認められる。
経歴
- 4歳で父を失い、母方の実家で育てられる。
- ボードン・カレッジ(友人に大統領となったフランクリン・ピアースや、詩人ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローがいた)を卒業後、隠棲生活に入って小説の執筆に専念する。
- 1839年、生活が苦しいことからボストンの税関に就職、しかし翌々年退職。1842年結婚し再び文学に専念したが、1846年セーレムの税関に就職、また1849年に退職。
- 1850年『緋文字』を発表し注目される。
- 1853年、ピアースが大統領選挙に立候補する際に候補者略歴を執筆し、ピアースが選挙に勝って大統領に就任すると、ホーソーンはリヴァプール領事に任命された。
- 1857年退任し、イタリアなどに滞在して執筆を続ける。
- 1860年帰国、しかし南北戦争の混乱や病気によりその後の作品は少ない。
- 1864年旅行中に突然死去。
著作
- 『緋文字』、福原麟太郎訳、角川書店, 1952年
- 『予言の肖像画』、荒正人訳、時事通信社出版局, 1956年
- 『泉の幻影』、泉田栄訳、明玄書房, 1979年
- 『トワイス・トールド・テールズ』、上下巻、井坂義雄ほか訳、桐原書店, 1981年
- 『人面の大岩』、酒本雅之・竹村和子訳、国書刊行会, 1988年
- 『ファンショー――恋と冒険の軌跡』、西前孝訳、旺史社, 1990年
- 『ホーソーン短篇小説集』、坂下昇編訳、岩波書店・岩波文庫, 1993年
- 『海辺の足跡~ナサニエル・ホーソーン氏の平凡な日常~』、BOOKS桜鈴堂刊、2013年
関連項目
- ウェイクフィールド - 1835年に発表した短編。
- 日本ナサニエル・ホーソーン協会
外部リンク
参考文献
- R・L・ゲイル 著 高尾直知 訳『ナサニエル・ホーソーン事典』雄松堂出版 2006年