真田幸道
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テンプレート:基礎情報 武士 真田 幸道(さなだ ゆきみち)は、信濃松代藩の第3代藩主。
生涯
第2代藩主・真田信政の六男(五男とも)。生まれた翌年に父が死去したため、わずか2歳で家督を継ぐ。しかし従兄の沼田藩主・信利がこれに不満を抱いて家督争いが起こった。これは祖父の信之が幸道の後見人となることで鎮めたが、信之も同年のうちに死去したため、内藤忠興が後見人となった。藩主としては江戸城普請、領内の検地、朝鮮通信使の饗応役など、様々なところにおいて活躍している。しかし相次ぐ出費のために、藩財政が悪化した。
武に優れ、自らは関口流柔術や神道流剣術の使い手であった。また、その武道を蔵書にしてまとめている(代表作は『松代侯詩集』)。また、松城を松代と改めた。享保12年(1727年)5月27日、江戸で死去した。享年71。
幸道には源次郎という実子がいたが、早世していたため、甥(長兄・信就の七男)の信弘を養嗣子として迎え、跡を継がせた。幸道と信就は仲が良かったとされる。