長谷川英憲
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テンプレート:政治家長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - )は、日本の政治家。「都政を革新する会」(旧「杉並革新連盟」)代表。 東京都議会議員(1期)、杉並区議会議員(6期)を務めた。
選挙では、名前を平仮名にした長谷川ひでのりの表記も用いる。また、俗称に長谷川エイケン。
来歴
長野県生まれ。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁した。働きながら早稲田大学第二政治経済学部を卒業。
1967年、70年安保や沖縄返還、公害、消費者保護を争点に杉並区議会議員選挙に出馬し、初当選を果たす。以後6期にわたり杉並区議を務める。1989年、東京都議会議員選挙に杉並区選挙区から出馬し、当選。1993年東京都議会議員選挙に再選をめざして出馬するも、落選した。
2000年、第42回衆議院議員総選挙に東京都第8区から無所属で出馬するが、惨敗(当選者は石原伸晃)。2005年、東京都議会議員選挙に再度杉並区選挙区から出馬したが、落選した。
人物
- 過去の選挙戦では福祉政策重視、消費税の廃止、中小企業保護、日本国憲法改悪阻止等を主張した。
- 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)から支援を受けていた。
- 都議選に出馬して以降、杉並区議選には後継の結柴誠一、新城節子を都政を革新する会から擁立していたが、結柴、新城は共に2007年に同会を離脱し、無所属での出馬を表明。これに対し、長谷川は都政を革新する会事務局長で、2003年の杉並区議選で落選した北島邦彦を擁立し、当選させた(北島は2011年の杉並区議選で落選)。
- 1995年東京都知事選挙で当選した青島幸男知事を、都政を革新する会は全面的に支持していた(ただし青島都政下では、都革新は都議会に議席を有していない)。
- 選挙運動中、何度か日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)による襲撃を受け、頭に包帯を巻いたまま運動を行う姿がよく見られた。