パオロ・バリッラ
テンプレート:Infobox パオロ・バリッラ(Paolo Barilla 、1961年4月20日 - )はイタリア生まれの元F1ドライバー、実業家。2008年現在、バリッラ・ホールディングの副社長を始め、イタリアの食品会社バリッラグループ各社の役員を務めている[1]。
プロフィール
1985年のル・マン24時間レースで優勝し、1989年の日本GPにおいてミナルディからF1デビュー。翌1990年もミナルディからF1に参戦するが、14戦エントリーして予選通過が8戦と成績はあまり振るわなかった。1990年のアメリカGPでは、体調不良を理由にリタイヤを喫している。
1987 - 1989年には全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)に参戦した。 また、1989年には中嶋企画から全日本F3000選手権に参戦し、ランキング11位(最高位2位)を獲得するなど、日本のレース界との関わりも少なくない[2]。 1989年はブリヂストンと無限F1エンジンのテストドライバーもこなした[3]。
バリッラ社の御曹司でありながら、直接的な支援を受けず、スポンサーはあくまでも自前で用意していた(ネームバリュー含め、間接的にはあったかもしれないが)。そのため、黒一色のデザインのヘルメットにはあまり大きなステッカーがつかず、地味さにより一層の拍車がかかっていた。
現在はバリッラの副社長業の傍らドライバー活動も散発的ながら継続しており、2004年にはパリ・ダカールラリーにメルセデスのトラックを駆って出場している。
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Numberの特集記事”F1日本GPプレビュー”のインタビューでは、「鈴鹿にあるホテルのレストランで網焼ステーキを食べるのが楽しみ。すごく美味しいんだから」と語っている。
- ↑ http://ms.bridgestone.co.jp/history/html_file/history-034.htm
関連項目
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
アンリ・ペスカロロ
クラウス・ルドヴィク
|style="width:40%; text-align:center"|ル・マン24時間優勝者
1985 with:
クラウス・ルドヴィク
ジョン・ウィンター
|style="width:30%"|次代:
デレック・ベル
ハンス=ヨアヒム・スタック
アル・ホルバート
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