ブレダM30軽機関銃

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テンプレート:Infobox ブレダM30軽機関銃は、第二次世界大戦イタリアで使用された軽機関銃である。

概要

ブレダM30軽機関銃はイタリア陸軍で使用されていた軽機関銃である。このブレダM30軽機関銃は下記の長所・短所に見るように、褒めるところを探すのが困難なほど性能が悪く、イタリア兵は複数の装備を選択する余地があった場合は迷わずほかの火器を選んだほどの代物である。

開発経緯

第一次世界大戦の前後、工業の未発達や大戦中の混乱から、イタリア軍の兵器の更新は滞りがちであった。後に起こる1936年エチオピア侵攻でも、部隊の装備は旧式化した第一次世界大戦前からのものがほとんどであった。

事態を重く見たイタリア軍の上層部は、1924年に第一次世界大戦で登場した新兵器のひとつである軽機関銃の開発をフィアット及びブレダに依頼した。両者の競作によりフィアット24とブレダ9Cの試作銃が作られたが、トライアルの結果、ブレダが勝者となった。

ブレダM30軽機関銃の長所・短所

テンプレート:Col

ブレダM30軽機関銃の開発

イタリア軍の機関銃やその他の兵器の開発で有名になったブレダ社は兵士が携帯出来る軽機関銃の開発を進め、ブレダ9Cという試作銃で競作に勝利した。そして9Cの改良型としてM30軽機関銃を1930年に完成させた。M30の主な特徴としては、不恰好な外見、銃全体のキャリングハンドルとしては使えない小さな銃身交換用ハンドル、初動で銃身ごと後退させるという特異なディレードブローバック作動方式、機関部右側に固定弾倉を有するなど。

給弾要領は、まず弾倉側面のマガジンフォロワーのレバーを装填位置にまで引き、弾倉自体を前方に半回転させて開いて空の挿弾子を外し、20発装着の挿弾子を装填、弾倉を元に戻せばフォロワーのストッパーが外れて弾を送れる状態になる、という手間のかかる仕組みだった。マガジンフォロワーのレバーを引かずに弾倉を開こうとすると、フォロワーのスプリングが変形して給弾不良の原因になり、ひどい場合はフォロワー自体が破損して使用不能になるおそれがあったが、それを防ぐための安全装置はなく、対策は手順を必ず遵守させるべく猛訓練を行うこと以外になかった。

作動は基本的にブローバックなのだが、通常と異なり銃身は固定されていない。おそらく、ストレートブローバックでは反動に耐えられなかったためと思われるが、最初は銃身ごと後退させ、その後遊底が銃身から離れて排莢・装填に入るという、少々乱暴な遅延機構を持つ。一見してショートリコイルに類似するが、ロッキングが行われていないことからブローバックに分類される。この作動方式はフィアット レベリM1914重機関銃と同じものであるが、M30に固有の欠点として銃身の保持規正が甘く、前後動に伴って銃身がぶれてしまい、銃手が正しく保持していたとしても、また低い発射速度で銃自体のコントロールは容易であったにもかかわらず、グルーピングは非常に悪かった。

作動方式そのものはいいかげんなりにシンプルであるが、部品点数は多く、部品の強度や耐久性も不足気味で、開口部や溝が多いこともあいまってを噛みやすく、機関部の故障が多かった。また、特に熱帯地ではコックオフ現象の回避のため機関部に時々油を吹き付ける必要があったが、これも埃を大いに集めた。第二次世界大戦におけるイタリア軍の主戦場は砂漠であったが、砂漠で使用するにはM30は最悪の機関銃であったとされる。

発射速度も当時の各国の軽機関銃に比べると非常に遅く、また空冷式機関銃の常として、ある程度使用すると銃身を交換する必要があるが、材質が劣っていたため耐久性が低く交換の頻度は他国の軽機関銃に比べて多いものだった。銃身交換のための小さな取っ手が装着されているが、銃自体にはキャリングハンドルと呼べるようなものは付属せず、特に射撃後熱くなっている銃を携行するのは不便であった。

ブレダM30軽機関銃のその後

M30は1930年から1937年までの間生産され、イタリア軍及びイタリアに駐留中のドイツ国防軍の間で使用された。

1937年にはイタリア軍は主戦弾薬を7.35×51弾に更新するため、M30を7.35mmにボアアップしたM37に生産を切り替えたが、当時終結したばかりのエチオピア侵攻、そして始まったばかりのスペイン内戦と、準戦時動員を続け多額の軍事費を濫費したイタリア軍は1940年になっても根本的な装備改変には手がつけられないまま開戦に至ってしまう。これに伴って、現用装備の補充を優先するという観点から6.5mm口径のM30の生産を再開せねばならなかった。

結局イタリア軍は第二次世界大戦を6.5mm装備を更新できないまま戦い抜くはめになり、最終的には1945年にイタリア社会共和国が崩壊するまで使用され続けた。

M37は使われないまま倉庫で出番待ちをしていたが、事前にリビアエチオピアに送られて保管されていたものが弾薬とともに大量にイギリス軍に捕獲され、蘭印軍に供与されて日本軍戦った他、戦後の植民地独立の混乱の中でアフリカ各地に出回り、独立闘争に使用されている。

ブレダM30軽機関銃の登場するメディア作品

関連項目