ドドンパ
日本の古来の音楽である都々逸(どどいつ)とルンバを足したものと言われている。また、京都で演奏していたフィリピンのバンドが演奏していた独特のマンボがドドンパになったとの説もある。
三国同盟締結中、ドイツのタンゴ、イタリアのカンツォーネ以外のポピュラー音楽は敵性音楽として厳しく規制されていたが、第二次世界大戦終了後は連合国から一斉にジャズと共にマンボ、ルンバといったリズム音楽が流入してきたため、当時軽快なリズム音楽に飢え切っていた日本をそれぞれが大席巻することとなった。
これらにより国産軽音楽の衰退に危機感を覚えた小沢昭一、永六輔、中村八大らは、何とか対抗しうる新しい国産リズム音楽を確立しようと模索していた。
その成果として「お座敷小唄」(松尾和子、和田弘とマヒナスターズ)などの小唄歌謡をヒントに四拍子の2拍目にアクセントを置き3拍目と4拍目を三連符とした(もしくは8分の12拍子)「ゥン パッ タタタ ドッド」という印象的なリズムを編み出し、4拍目からの音を取り「ドドンパ」と名付けられ、彼ら自身や周辺の作家によって一連の楽曲が作成された。
ドドンパが一般に知られるようになったのは、1961年に発売された渡辺マリの「東京ドドンパ娘」からである。「東京ドドンパ娘」は100万枚を超える[1]大ヒットになり、1960年代はドドンパブームが訪れた。美空ひばりなど様々な歌手がドドンパと銘打った楽曲を発表し、映画のテーマにもなった。1962年発売の北原謙二「若いふたり」も代表曲である。「ドドンパ」の歌詞に合わせ脚を折り曲げ、腰を落とす踊りも流行した。
しかし、「東京ドドンパ娘」を超えるドドンパソングが登場しなかったこともあり、ドドンパブームは終息を迎えることとなる。
その後、1976年に桜たまこが「東京娘」(東京ドドンパ娘のリメイク)を、1992年にモダンチョキチョキズが「ティーンエイジ・ドドンパ」(アルバム「ローリング・ドドイツ」に収録)を、2004年に氷川きよしが「きよしのドドンパ」を出しヒットとなるが、ドドンパブームの再来とまでは至っていない。
パチャンガ、スクスクと並ぶ3大流行ジャンルとなったこともあった。
ドドンパ歌謡(演歌)
- ドドンパ(奥村愛子)
- きよしのドドンパ(氷川きよし)
- 大阪ドドンパ (真木柚布子)
- ドドンパ・No.5(万代陽子)
- ドドンパ・ハイティーン(万代陽子)
- 東京娘(桜たまこ)
- ティーンエイジドドンパ(モダンチョキチョキズ)
- 宇宙でドドンパ(アロー・ラテン・グループ)
- ベートーベンでドドンパ(アロー・ラテン・グループ)「運命」をドドンパにアレンジしたインストルメンタル
- おきょードドンパ(山本正之)
関連項目
- 王貞治 「ドドンパはお好きですか?」