李景夏
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李景夏(り・けいか、イ・ギョンハ、1811年(純祖11) - 1891年(高宗28))は、李氏朝鮮(1392年 - 1910年)の武臣。
本貫は全州。字は汝会。李寅達の子。神貞王后趙氏の姻戚。謚号は襄粛。
1863年、李氏朝鮮第26代高宗(在位1863年-1907年)が即位すると、その父親で摂政の大院君による政権が始まった。この政権下で武衛大将、訓錬大将兼左捕盗大将、禁衛大将、畿輔沿海巡撫使(丙寅洋擾のとき)、営建都監提調(景福宮重建のとき)、刑曹判書などを勤めた人物。壬午事変の責任を負って辞職したが、すぐに復職。
1866年の丙寅教獄(天主教(キリスト教)大弾圧)の際の手法が恐れられ、「駱洞閻魔」と呼ばれた。