ラシャード・ルイス
テンプレート:バスケットボール選手 ラシャード・ルイス(Rashard Quovon Lewis、1979年8月8日 - )は、アメリカ合衆国のルイジアナ州パインズビル出身のバスケットボール選手。NBAのマイアミ・ヒートに所属していたが、現在はFA。ポジションはスモールフォワード。高卒選手の一人。
NBAでの経歴
テキサス州ヒューストンの高校を卒業後、カレッジには進まずに1998年のNBAドラフトにエントリーした。同じく高卒のアル・ハリントンより潜在能力は高いと評価を受けていたが、1巡目に3つの指名権を持っていた地元ヒューストン・ロケッツは彼を指名せず、2巡目全体32位にてシアトル・スーパーソニックスから下位指名を受けることとなった。ドラフト指名後、彼はロケッツに指名されなかった失望でテレビの前で泣き姿を見せた。
ルーキーシーズンは20試合しか出場しなかったが、2年目は全試合に出場。3年目の2000-01シーズンには、出場した78試合の全てを先発で出場し、平均14.8得点、6.9リバウンド、1.6アシストを記録した。年々数字を伸ばしてきており、7年目となった2004-05シーズン、自己最高の平均20.5得点の記録を残し、NBAオールスターゲームにも初出場を果たした。2006-07シーズンも主力として活躍していたが、右手を故障し手術を受ける為、長期欠場を余儀なくされた。
ソニックスで9シーズンプレーした彼は現在では希少な、入団以来1チームでプレイし続ける選手(フランチャイズプレーヤー)の1人だったが、2007年オフの7月11日にドラフト指名権とのサイン&トレードでオーランド・マジックへ移籍した。契約内容は6年で1億1850万ドル、いわゆるMAX契約で本人にとってはこれ以上ない結果となった。チームの若手頭であるドワイト・ハワードやトルコ人のヘド・ターコルーなど個性あふれるメンバーで、イーストの強豪の一角にのし上がったマジックであったが、優勝を狙える力はなく2007-08プレーオフではデトロイト・ピストンズの前に力負けしている。
2008-09シーズン、衰退したピストンズに代わり、マジックは東の3強へとのし上がった。カンファレンス・ファイナル第1戦では、決勝3ポイントを決め、自身初のファイナル進出を果たしたが優勝することはできなかった。7月6日、禁止薬物であるDHEA(筋力増強作用はほとんどなく一般的なサプリメントに含まれている[1])の陽性反応が出たことから、2009-2010シーズン開幕から10試合の出場停止処分を受けた。ルイスはこれについて、前シーズン終盤にサプリメントを服用してしまったためだと説明した[2]。
2010年12月18日に、3球団(オーランド・マジックのほか、ワシントン・ウィザーズ、フェニックス・サンズ)が絡むトレードにより、ギルバート・アリーナスとの交換との形で、ワシントン・ウィザーズへ移籍した[3]。
2012年7月11日、マイアミ・ヒートと2年契約を結んだ[4]。2014年、自身初の優勝メンバーとなった。
2014年7月、ダラス・マーベリックスに1年契約で入団した[5]。しかし、フィジカルチェックを受けた後右膝が手術の必要があると診断され契約は白紙に戻された。[6]
プレイスタイル
3ポイントからポストプレーまで幅広いスキルを持つスコアリングマシーン。長身にして運動能力が高く、特にモーションの速く打点の高い3ポイントシュートはオーランド・マジックの戦術にもはまり、近年成功数上位にランクされている。 だが一方でリバウンド、アシストなど他のスキルは平凡であり、またドリブルをついてからの得点はやや苦手としているため、攻撃の起点としてはあまり働かないので、リーダーとしてチームを牽引するタイプではなく「MAX契約にふさわしくない」といった批判を受ける事もある。
その他
- 2003-04シーズン、日本で行なわれた公式戦(ジャパンゲーム)のため来日し、2試合目には50得点とこれまでのクライド・ドレクスラーの41得点という記録を塗り替えた。
- 双子の姉妹(どちらかは不明)がおり、彼と同じ高校のバスケットボール部員であった。
- 名前の由来は、元NFL選手で現在はスポーツ解説者のアーマッド・ラシャードから。
脚注
外部リンク