代田稔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年4月30日 (水) 22:27時点におけるClaw of Slime (トーク)による版
テンプレート:Infobox 人物 代田 稔(しろた みのる、1899年4月23日 - 1982年3月10日)は、長野県飯田市出身の医学博士、実業家。ヤクルトの開発者で実質的な創業者。
来歴・人物
貧しい人でも健康を手に入れられるよう「ハガキ1枚煙草1本の値段で買えるヤクルト」を経営標語とし、「健腸長寿」を理念とした。
「ヤクルトの父 代田稔物語」という伝記漫画が2004年の小学館『小学三年生』四月号に掲載されたことがある(原案:久保田千太郎 漫画:ながいのりあき)。
学歴
- 1918年 飯田中学校卒業、旧制第二高校入学
- 1921年 旧制第二高校卒業、京都帝国大学医学部入学
- 1925年 京都帝国大学医学部卒業
- 1930年 医学博士(京都大学、学位請求論文『比色計による補體結合反應の特異度の研究』)[1]
京都大学時代
- 1925年 京都帝国大学医学部微生物講座助手
- 1930年 同講師
- ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株(ヤクルト菌)を発見
- 1931年 医師免許取得[2]
- 1933年 京都帝国大学医学部助教授
- 1935年 福岡県福岡市に代田保護菌研究所を設立、「ヤクルト」の製造・販売を開始
- 1938年 徴兵、京都大学退官。ハルピン医科大学教授
- 1939年 同退職。
実業家時代
- 1939年 山口県下関市に代田研究所設立、研究所長就任。
- 1955年 株式会社(旧)ヤクルト本社設立、代表取締役就任。京都府京都市に代田研究所設立、研究所長就任
- 1967年 株式ヤクルト本社内に、ヤクルト中央研究所設立(代田研究所の移転)、研究所長就任