笠戸丸
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笠戸丸(かさとまる、Kasato Maru)は明治時代後期から終戦にかけて、移民船や漁業工船などに使われた鋼製貨客船。
概要
笠戸丸は6000総トンで平均速度約10ノット。船足は遅いが長距離航行に優れており、明治時代後期から昭和初期にかけて、外国航路や内台航路(当時)用の船舶として用いられた。ハワイやブラジルへ移民が開始された時に移民船として使われたことでもよく知られている(移民用としては、船底の貨物室を蚕棚のように2段に仕切って使用した。最大1000人程度の移民を収容できたようである)。その後漁業工船に改造され、漁業会社を転々とする。
最後は、貨客船として一番はじめに籍を置いた国であるソ連の手によって、太平洋戦争終結直前カムチャツカ沖で爆沈されるといった数奇な運命をたどった。
笠戸丸の歴史
- 1900年(明治33年) - イギリスの造船会社(Wigham Richardson & Co.,Newcastle,England )で建造、竣工され、ロシアの船会社(Russian Volunteer Fleet Association)で貨客船Kazan号として使用される。
- 1905年(明治38年) - 日露戦争中、旅順港内で被弾し沈座していたのを日本海軍が浮揚し捕獲。日本海軍に移籍し「笠戸丸」と改名。
- 1906年(明治39年) - 海軍省より東洋汽船が運航委託を受け、ハワイへ移民646名を運ぶ。
- 1908年(明治41年) - 皇国殖民会社(社長:水野龍)の依頼によりブラジルへ第一回移民781名を運ぶため、サントス港に向け神戸港を出航。
- 1910年(明治43年) - 大阪商船が内台航路(神戸 - 門司 - 基隆)に使用するため傭船。
- 1912年(明治45年) - 海軍省から大阪商船に払い下げ。同社の南米航路に使用される。
- 1930年(昭和5年) - 大阪商船から個人に売却され、いわし工船に改造。
- 1931年(昭和6年) - 東洋工業に売却される。
- 1932年(昭和7年) - フィッシュ・ミール工船に改造。
- 1934年(昭和9年) - 新興水産に売却され、後に太平洋漁業に移籍する。
- 1939年(昭和14年) - 日本水産に移籍、後に日本海洋漁業の所有となる。
- 1945年(昭和20年) - ソ連軍により捕獲、乗組員を下船させ、数名の病人をのせたまま爆破。戦争後も乗組員はシベリア抑留となる。
発行物
以下のものに笠戸丸が描かれている。
- 特殊切手「ブラジル移住50年記念」(1958年6月18日発行)
- 記念貨幣「日本ブラジル交流年及び日本人ブラジル移住100周年記念」の500円硬貨(2008年発行)
備考
- 時代が下った1970年代に、北洋を航行する笠戸丸の姿が歌謡曲の歌詞に使われたこともある(『石狩挽歌』(なかにし礼作詞・浜圭介作曲。北原ミレイ唄、1975年)。
- かつて関西国際空港に乗り入れていたヴァスピ・ブラジル航空は、乗り入れ機材のマクドネル・ダグラスMD-11機に笠戸丸の名前をつけていた。
- 笠戸丸がサントスに初めて移民を送り届けてからちょうど100年後の2008年6月18日に、かしま、うみぎり、あさぎりからなる海上自衛隊の練習艦隊が、移民100周年行事に参加するためサントスに寄港した。
参考文献
- 藤崎康夫『航跡 ロシア船笠戸丸』(時事通信社、1983年) ISBN 4-7887-8311-8
- 宇佐美昇三『笠戸丸から見た日本 したたかに生きた船の物語』(海文堂出版、2007年) ISBN 978-4-303-63440-7
- 山田廸生『船にみる日本人移民史 笠戸丸からクルーズ客船へ』(中公新書、1998年) ISBN 4-12-101441-3 日本の海外移民船通史