吉川国経
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テンプレート:基礎情報 武士 吉川 国経(きっかわ くにつね)は、戦国時代の安芸国の国人領主。
生涯
吉川経基の長男[1]。
永正6年(1509年)、家督を継いで当主となる[1]。永正4年(1507年)に大内義興と尼子経久が足利義稙を擁して上洛した際には従軍している[1]。永正8年(1511年)の船岡山の戦いにも参加した[1]。
後に尼子経久が勢力拡大を図り大内義興と戦いを始めると、永正14年(1517年)から尼子氏に味方して大内方の動向を伝えた[1]。
尼子経久は毛利元就を高く評価していたため、毛利氏取り込みのために自身の縁者であった国経の娘を元就に嫁がせている[1]。大永2年(1522年)には長男の元経が自身に先立って死去したため、嫡孫吉川興経(千法師)の補佐・後見に当たった[1]。
享禄4年(1531年)4月18日、89歳という長寿をもって死去。
脚注
注釈
引用元
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 引用エラー: 無効な
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参考文献
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