島津忠隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年9月29日 (日) 23:21時点における220.216.86.228 (トーク)による版
島津 忠隆(しまづ ただたか、1497年9月11日(明応6年8月15日) - 1519年5月12日(永正16年4月14日))は、室町時代後期の薩摩国の大名。島津氏の第13代当主。
生涯
明応6年(1497年)、島津氏第11代当主・島津忠昌の次男として誕生。幼名は百房丸。通称は又六郎。
永正12年(1515年)、兄で第12代当主・島津忠治の死去により家督を継ぐ。永正13年(1516年)、琉球支配を企んでいた三宅国秀を討ち、島津氏の琉球における権益を守った。兄同様に戦乱を好まず、文学に傾倒し、古今伝授を受けている。このために島津氏内部の内乱は続いた。
永正16年(1519年)4月14日死去。享年23。法名は興岳隆盛大禅定門。墓所ははじめ鹿児島の隆盛院、後に福昌寺に改葬されている。跡を弟の島津勝久が継いだ。