ジョゼフ・プロファチ
ジョゼフ・"ジョー"・プロファチ(Joseph "Joe" Profaci, 1897年10月2日 - 1962年6月7日)は、米国のイタリア系犯罪組織コーサ・ノストラの幹部で、旧プロファチ一家(現在のコロンボ一家)のボス。本名はジュゼッペ・プロファチ(Giuseppe Profaci)。「老人」("The Old Man")とも呼ばれた。
シチリアパレルモ県ヴィッラバーテ出身。1927年にアメリカに渡って市民権を得る。カステランマレーゼ戦争の頃から既に一家のボスであり、同戦争ではサルヴァトーレ・マランツァーノ側に属した。その後のマランツァーノによる五大ファミリーの編成と、ラッキー・ルチアーノによるその再編のいずれにおいても一家のボスの地位を保った。
のちに組織犯罪を厳しく追及することになるジョン・F・ケネディとロバート・ケネディを、大統領と司法長官になる以前から信用していなかった(マフィアは禁酒法時代に酒の密売でジョセフ・P・ケネディ・シニアとつながりがあったため、その息子たちが政治家になることを支持していた大物ボスもいた)。
自らイタリア産オリーブオイルの独占輸入権を持ち、アメリカ最大の輸入業者だったため「オリーブオイル王」とも呼ばれ、巨万の富を築いたが(その邸宅はセオドア・ルーズヴェルト元大統領の邸宅を購入したものであった)、一家の組員に対しては多額の上納金を課すけちなボスとして知られていた。
1953年、200万ドル以上の脱税容疑で司法省から告発される。
1960年になって、その状況に不満を持つ組員のギャロ兄弟(ローレンス、ジョゼフ、アルバート)が(恐らくは五大ファミリーの内でプロファチと対立する立場にあるボスのトーマス・ルッケーゼやカルロ・ガンビーノの扇動を受けたものと思われる)、プロファチに対する反乱抗争を起こした。プロファチはボスの集まりであるコミッションの席上危うく引退を言い渡されるところであったが、盟友であるジョゼフ・ボナンノの助けによりその地位を保った。
プロファチは2年後に肝臓癌により死亡し、その後は従兄弟のジョゼフ・マリオッコが継いだ。ニューヨーク・クイーンズ区のセント・ジョーンズ墓地に埋葬されている。