アザディ・スタジアム
アザディ・スタジアム(テンプレート:Lang-fa、テンプレート:Lang-en)は、イランの首都テヘランにあるスタジアム。イランのIRIBは、「アーザーディスタジアム」と表記している[1]。
概要
公式な収容員人数は90,000人で、1974年のアジア競技大会の為に建設された。スタジアムは「アザディ総合スポーツセンター」の一角にあり、センター内にはサッカー練習場、重量挙げ、水泳施設、バレーボール、フットサル場が隣接する。
しかし、1997年11月21日のオーストラリア対イラン戦は、FIFAワールドカップ・フランス大会の最後の出場枠(32番目)を賭けた大陸間プレーオフの一戦で観客動員数が、公式収容員人数の90,000人を48,000人超える128,000の観客がこのアザディ・スタジアムの押し寄せ試合を観戦したと言われている。(メルボルンの悲劇)
スタジアム名のアーザーディーはペルシア語で自由を意味する[2]。なお、テヘラン市内には他にもイラン革命を期として名称変更されたアーザーディー広場やテンプレート:仮リンクなど「自由」の名前を冠した建築物が複数存在する。
スタジアムはサッカーイラン代表の国際試合の他に、イラン・プロ・リーグのピルズィ・テヘランとエステグラル・テヘランが本拠地として使用している。
かつては国王のモハンマド・レザー・パフラヴィーを記念してAryamehrスタジアムと呼ばれていたが、イラン革命の後、現在の名称へ変更された。バックスタンドにはイランの指導者であったルーホッラー・ホメイニーとアリー・ハーメネイーの写真が掲げられている。
宗教上の理由から女性客の入場は認められていないため、試合時は男性客で溢れ返り異様な雰囲気を醸し出している。例外として2005年3月25日に行われたFIFAワールドカップ・ドイツ大会のアジア最終予選におけるイラン対日本戦においては、頭にスカーフを巻く等肌を極力露出させないよう義務付けた上で日本から来た女性サポーターの入場を特別に許可した。
ギャラリー
- Azadi Stadium Site Plan.jpg
スタジアムの俯瞰図
- 1974 Asian Game inauguration.jpg
1974年アジア競技大会開会式の様子
- Iran Korea 2010 FIFA World Cup qualification.jpg
- Esteghlal-azadisport-complex.jpeg
エステグラルFCのサポーターで埋まったスタジアム
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脚注
関連項目
外部リンク
- Official website of the Azadi Sports Complex
- Azadi Stadium at worldstadiums.com
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
スパチャラサイ国立競技場
バンコク
|style="width:40%; text-align:center"|AFCアジアカップ
決勝戦会場
1976
|style="width:30%"|次代:
サバーハ・アッ=サーリム・スタジアム
クウェートシティ
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