三・一五事件
三・一五事件(さん・いちごじけん)は、1928年3月15日に発生した、社会主義者、共産主義者への日本政府による弾圧事件。
背景
第一次世界大戦後、国際社会における日本の地位が大きく向上すると同時に、ヨーロッパの文化もまた大量に日本に流入し、人道主義や民主主義といった思想も入ってきた。しかし日本の政治はそれまで、天皇の大権を広範に認め議会の権限を制限する明治憲法のもとで元老と呼ばれる天皇側近とその配下の軍部、官僚に握られていた。彼らは天皇の権威を盾に自らの勢力維持に努め、汚職・腐敗(軍艦購入汚職、シーメンス事件など)が横行していた。
民主主義思想の流入とともに、この元老政治、軍部・官僚を攻撃する動きが知識人の間に広がり(憲政擁護運動(第一次、第二次)、天皇機関説(美濃部達吉)、民本主義(吉野作造))、普通選挙の実施を求める声が強まったため、権力者側は民主主義的な性格を極力抑えた男子普通選挙法改正を実施するが、それと引き換えにそれまで労働組合など組織の政治活動を規制する治安警察法に加えて、新たに個人を標的とする「国体を変革しおよび私有財産を否認せんとする」結社・運動を禁止する治安維持法を成立させた(1925年3月議会通過)。
事件
1928年2月、第1回の普通選挙が実施されたが、社会主義的な政党(無産政党)の活動に危機感を抱いた政府(田中義一内閣)は、3月15日、治安維持法違反容疑により全国で一斉検挙を行った。日本共産党(非合法政党の第二次共産党)、労働農民党などの関係者約1600人が検挙された。
作家、小林多喜二は三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を発表する(『戦旗』1928年11・12月号、発売禁止)。特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買った。(一説には後年の拷問死事件へとつながったといわれる)