レイモンド・バー
テンプレート:ActorActress レイモンド・バー(Raymond William Stacey Burr, 1917年5月21日 - 1993年9月12日)は、カナダ出身の俳優。
略歴
カナダのブリティッシュ・コロンビア州ニューウェストミンスター出身。父はハードウェアのセールスマン、母はピアニスト・音楽教師だった。父の仕事の関係で子供時代を中国で過ごした。両親が離婚後、母・妹・弟と共にアメリカ合衆国カリフォルニア州ヴァレーホへ移住。第二次世界大戦中は海軍に入隊したが、沖縄戦で負傷し帰国[1][2]。
海軍を退役後、演劇に興味を抱き1946年に初めて映画に出演する。続く10年間に90作品に出演した。『陽のあたる場所』、『裏窓』といった作品に出演した。悪役を多く演じたが、1956年には『怪獣王ゴジラ』でスティーブ・マーティン記者役を演じ、1985年の『ゴジラ1985』でも同役を演じた。
1957年にE・S・ガードナーの『ペリー・メイスン』シリーズのテレビドラマ化でペリー・メイスン役を演じ、テレビスターの仲間入りをした。同作品は人気を博して9年間続き、1959年と1961年にエミー賞主演男優賞を受賞した。1967年にはもう一つの長寿ドラマシリーズ『鬼警部アイアンサイド』で、車椅子の刑事役を演じた。同作品は1975年まで続いた。他にもいくつかのテレビドラマに出演したがいずれも短命に終わり、ヒットとはならなかった。
1980年にはデニス・ホッパーの監督作品『アウト・オブ・ブルー』に脇役として出演した。また、1982年にはペリー・メイスン役をパロディにした『フライングハイ2』に出演した。1985年には再びペリー・メイスン役を演じ、26本の二時間映画シリーズに出演した。
自らが演じた「悪漢」や不屈の英雄とは対照的に、実際の生活ではチャリティに多額の寄付を行った寛大な人物だった。また、20人の孤児を養育した。彼はテレビ局の幹部やディレクターに、彼に示すのと同じ尊敬を共演者達にも示すように主張した。
コロンビア大学映画学科の講師として演技指導を行った。
私生活では結婚歴があり、複数の女優とのロマンスが噂されたこともあったが、実際にはゲイだった[3]。
1993年9月12日、肝臓癌のためカリフォルニア州ヒールスバーグで死去(テンプレート:没年齢)し、故郷ニューウェストミンスターのフレーザー墓地に埋葬された。また彼はハリウッド大通り6656のハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を持っている。
2000年10月、ブリティッシュコロンビア州ニューウェストミンスターに「レイモンド・バー・パフォーミング・アーツ・センター」がオープンした。同劇場での上演開始以来、各演幕のどこかにレイモンド・バーの写真が必ず飾られた。238の座席を持つ同劇場は650席に拡張する計画を持っていたが、2006年に閉鎖された[4]。