北海市
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テンプレート:基礎情報 中国の都市 北海市(ほっかいし)は中華人民共和国広西チワン族自治区の地級市。清代に発生した新興港湾都市。市名は北部湾の北にあることに由来する。
目次
地理
広西チワン族自治区南端、トンキン湾(中国では北部湾という)に面する。
歴史
清の康熙初年に初めて北海の名が見え、嘉慶年間に市街が形成され始めた。1876年のイギリスとの芝罘条約(煙台条約)により開港場となった。今も当時の領事館や商社、教会などの西洋建築が残る。
1949年12月4日人民解放軍が入城したが、当時は合浦県所属の鎮にすぎなかった。1951年1月広東省の省市轄となったが、同年5月広西省の指導に委託され、1952年3月正式に広西省に帰属した。1955年5月には再び広東省に改められ、1956年には県級市に降格された。1958年にはさらに合浦県北海人民公社となったが、1959年鎮となり、1964年には県級市を回復、1965年6月再び広西に帰属した。
1982年観光対外開放都市となり、1983年10月地級市の地位を回復した。1984年4月にはさらに対外開放された沿海都市となり、1987年には合浦県を併合している。
行政区画
3市轄区・1県を管轄する。
年表
広東省北海市(第1次)
広東省欽廉専区(1950年-1951年)
広西省欽廉専区
- 1951年5月14日 - 広東省の分割により、広東省欽廉専区が広西省欽廉専区となる。(1市4県)
- 広東省北海市を編入。北海市が県級市に降格。
- 1951年6月 - 南寧専区邕寧県の一部が欽県に編入。(1市4県)
- 1951年9月21日 - 霊山県の一部が南寧専区邕寧県に編入。(1市4県)
- 1951年10月 - 欽廉専区が欽州専区に改称。
広東省北海市(第2次)
広東省欽廉専区(1955年-1956年)
- 1955年5月31日 - 広西省欽州専区欽県・合浦県・霊山県・防城県を編入。広東省欽廉専区が成立。(4県)
- 1955年7月9日 - 広西省容県専区浦北県を編入。(5県)
- 1955年7月 - 欽県の一部が広西省桂西チワン族自治区邕寧県に編入。(5県)
- 1956年1月4日 - 合浦県・浦北県・欽県・防城県・霊山県が合浦専区に編入。
合浦専区
- 1956年1月4日 - 北海市、欽廉専区合浦県・浦北県・欽県・防城県・霊山県を編入。合浦専区が成立。北海市が県級市に降格。(1市5県)
- 1957年3月26日 (1市5県2自治県)
- 防城県の一部が分立し、十万大山チワン族ヤオ族自治県が発足。
- 欽県・防城県の各一部が合併し、欽北チワン族自治県が発足。
- 1958年2月22日 - 十万大山チワン族ヤオ族自治県が東興各族自治県に改称。(1市5県2自治県)
- 1959年3月22日 (3県1自治県)
- 北海市・浦北県が合浦県に編入。
- 欽北チワン族自治県が欽県に編入。
- 防城県が東興各族自治県に編入。
- 1959年3月31日 - 合浦県・欽県・霊山県・東興各族自治県が湛江専区に編入。
広西チワン族自治区北海市
- 1983年10月8日 - 広西チワン族自治区欽州地区北海市が地級市の北海市に昇格。(1市)
- 1984年9月11日 - 海城区・郊区を設置。(2区)
- 1987年5月21日 - 欽州地区合浦県を編入。(2区1県)
- 1990年7月21日 - 郊区の一部が海城区に編入。(2区1県)
- 1994年12月17日 (3区1県)
経済
近年、外資導入を図って、工業立市を目指し、2003年の生産総額は前年比12%増の150億人民元を記録した。
開発区
- 北海輸出加工区(国家級)
- 入居企業:16社
- 北海工業園区(省級)
- 入居企業数:100社以上
交通
- 北海福成空港 全天候型の的中型飛行場で、北京、広州、上海、深セン、重慶、成都、貴陽、昆明、長沙、武漢、海口、桂林、香港などと結ぶ18路線を運行する。
- 北海鉄道駅 省都南寧と連絡する。
- 北海港 1万トン級の船舶が停泊できる国際貿易港。海南島の海口にもフェリー便がある。