毛利名人
テンプレート:存命人物の出典明記 毛利名人(もうりめいじん、1966年9月7日 - )は、高橋名人に並んでファミコンゲームで有名なファミコン名人の一人。本名は毛利公信(もうりきみのぶ)。東京都渋谷区出身。
概要
スターフォースでのキャラバン(会場は札幌のデパート)が名人としてのデビュー。1日で約700人も集め、当日だけで『スターフォース』を500本近く売り上げた[1]。
ファミコン名人で高橋名人に次ぐ人物として知られる。野性味あふれるキャラクターを押し出していた高橋名人に対し、毛利名人はすらりとした体躯もあいまって理論派的な印象のキャラクターに設定されていた(「力の高橋、技の毛利」と言われた[2])。1986年には高橋名人との対決を描いた映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』に主演。
高橋名人の16連打に対し毛利のそれは14連打(実際は9〜10連打とも)と数は劣るものの高橋よりも命中率が高く(高橋の命中率が80%であるのに対し毛利は90%)互角の実力と紹介された。
ハドソンは『チャンピオンシップロードランナー』全面クリア達成者にナンバー入りのゴールド認定証を発行していたが、毛利名人はその3000人目の達成者である。当時、同作品の広告に顔写真付きで紹介されたことがある。以後、同社のゲーム大会などに名人(司会者も兼ねる)として出演。大会の全国キャラバンでも西日本を高橋名人、東日本を毛利名人が担当するなど、高橋とほぼ同格の扱いを受けるようになった。
テレビ東京系『ファミっ子大集合』内の「ファミっ子チャレンジランド」のコーナーにて、難易度の高い『忍者龍剣伝』を挑戦者である当時の小学生9人相手にもかかわらず、あっさりと放送時間内(放送収録時間内)に一人だけ全面クリアするという離れ業を数回やるほどの腕前。『悪魔城ドラキュラ』でも最低装備でボスのドラキュラを無傷で倒す離れ業を披露した。
また、当時のマネージャーである叔父が番組プロデューサーにギャラの値上げを要求(一説によると1回の出演で100万円)、却下されたことに腹を立て降板するテンプレート:要出典。
グランツーリスモシリーズなど、車ゲームが得意なのはゲーム界で有名であり、20代で購入した[3]愛車フェラーリを現在も大事にしていることからこの手のジャンルには一際熱心に攻略をし続けていた。
東京理科大学在学中からファッションには無頓着で、ジーンズの中に襟付きシャツを入れるスタイルを好んでおり、今に至る。
所属の誤解
毛利名人はバンダイ所属あるいはナムコ所属、コナミ所属という誤解が多いが、フリーの名人だった。
当時ハドソン社員であった高橋名人によると、当初毛利が自作の同人誌を持って自己紹介してきたので、ゲーム好きの青年と見てハドソンに招き、スターフォースをやらせると高得点を取るのでバイトとして雇って、当時展開していた全国キャラバンに”毛利名人”として用いたのが業界に関わり名前を売る切っ掛けであった[4][5]。
しかし、ハドソンとのアルバイト契約があるまま、「毛利名人」としてコナミのファミコン版『グラディウス』のゲーム大会の仕事をしたことがハドソン側の逆鱗に触れ、契約を切られた。
ナムコ所属と言う誤解は「毛利名人」を一躍有名にした企画であるJICC出版局(現・宝島社)のムック『ファミリーコンピュータ必勝本』掲載の「ゼビウス1000万点に挑戦」が読者に強烈なインパクトを与えたことに起因すると思われる。
また、コナミ所属という誤解はコナミのファミコンゲーム攻略ムック発売に起因するとされる。
なおファミコン名人でハドソンと言えば高橋名人。バンダイと言えば橋本名人、ナムコと言えば河野名人、テクモと言えば辻名人である。
「名人」の後
- ファミ通在籍時代
- 1989年に面接を受け、「ファミ通」(当時の名称は「ファミコン通信」)編集部に入る。主にアーケードゲーム紹介コーナーの「ビデヲゲーム通信」や、『グランツーリスモ』などレースゲームの攻略などを担当した。編集部に入った後も本名ではなく通称の「毛利名人」と誌上でも呼称されていた。当時同誌にて連載中だった鈴木みその漫画、「あんたっちゃぶる」や「おとなのしくみ」にもゲストキャラとして何度か出演した。また「スーパーモウリ29(歳)」という企画ではスーパーマリオ風の格好をするなど、お笑い要員としても活躍。入れ替わりの激しい同誌の編集部内では、古参の1人として長期在籍の貴重な人物であったが、2008年10月3日号から「ファミ通」の編集スタッフから外れた。
- フリーランス時代
- 現在はフリーランスで各所で活動中。2011年6月から11月まで、ブログ『毛利名人のネバーエンディングゲームズ』をファミ通.comにて連載していた。全47回(本来は45回で終わる予定だった)。同年9月1日木曜日に日本テレビで放映された『夜遊び三姉妹』では、高橋名人と久々に再会しTV出演した。
脚注
外部リンク
テンプレート:ファミコン名人- ↑ リラックス2003年4月号
- ↑ コロコロ爆伝!!1977-2009 P.348
- ↑ ベストカー誌2010年3月10日号の記事に拠れば、現在も所有する348tbは、25歳時にそれまでに貯めた自らのギャラ(ピーク時には千万円台の年収があった)で新車購入、以降大切に維持している。なお、自宅兼オフィスにはゲームとクルマ関連のグッズしか置いていない。
- ↑ 2006年8月16日 高橋名人の『16SHOTRADIO』 vol.5より
- ↑ 「私が南キャラバン担当で、7月21日にダイエー鹿児島店から回りまして、北キャラバンの方は(当時)大学生の毛利名人に担当してもらいました。(毛利名人が加わるきっかけは)5月に東京・平和島の東京流通センターでやっていた「マイコンショウ」でのことです。ハドソンが出展していると、毛利君が「僕、こういうのやっています」と同人誌を持って来て、「おおそうか、君はゲーム上手いのか。じゃあ、ちょっと来週くらいハドソンに遊びにおいでよ」と言って、ハドソンに来た時に『スターフォース』をやらせると結構点数をとるので、「君さ、夏休みヒマ? バイトしない?」ということで急きょ“毛利名人”にしたいきさつがあります。こうして全国キャラバンは、無事に終えることが出来ました。」 “高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (1/5) - Business Media 誠