紀元前188年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Yearbox 紀元前188年は、ローマ暦の年である。
できごと
ギリシア
- アカイア同盟のリーダーであるメガロポリスのフィロポイメンは、彼の軍とスパルタの亡命者を率いてラコニア県北部に侵入した。彼の軍は、前のスパルタとナビスの僭主がスパルタの周りに築いた壁を破壊した。その後フィロポイメンは亡命者にスパルタの市民権を回復し、スパルタの法律を廃止してアカイアの法律を導入した。ギリシアにおけるスパルタの勢力はなくなり、アカイア同盟がペロポネソス半島全体の覇権を握った。
共和制ローマ
- アパメア条約により、ローマはセレウコス朝のアンティオコス3世に対してギリシアとアナトリアの領土をトロス山脈より東とし、12年間で賠償金15,000タレントを支払わせ、カルタゴの前将軍ハンニバルを降伏させた。セレウコス朝はシリア、メソポタミア、西イランの範囲に減らされ、ローマは東地中海の覇権を握った。
小アジア
- ハンニバルはクレタ島を経て、ローマの同盟軍であるペルガモン王国のエウメネス2世と敵対していたビチュニアのプルシアス1世のところまで逃げた。
- アパメア条約によって、エウメネス2世はフリジア、リディア、リュキア、ピシディア、パンフィリアをローマの同盟国から得た。ローマはアナトリアの領有を望まなかったが、将来セレウコス朝が拡大する可能性に備えて親ローマで強力な緩衝地帯として残しておきたかった。