和歌山静子
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和歌山 静子(わかやま しずこ 1940年 - )は挿絵画家、絵本作家。京都府に生まれ、武蔵野美術大学デザイン科卒。現在、神奈川県逗子市在住。
寺村輝夫との関係
1966年、和歌山があかね書房に絵を売り込みに行った時、児童文学者の寺村輝夫が和歌山の存在と絵を知って気に入り、学習研究社の雑誌に連載する、『こびとのピコ』の挿絵を担当する事になった。これが気に入った寺村は「三年間専属画家になって欲しい。契約料も払う」と言ったが、和歌山はこれを断り、寺村の紹介した広告代理店で仕事をしながら、挿絵を描く事にする。以後『王さまシリーズ』のみならず、寺村の長男と次男から名前を拝借した、オムくん トムくんシリーズ(彼らが登場する作品は王さまシリーズの様に統一されておらず、作品名や出版社がバラバラである)はほとんどが和歌山の担当となった。
1980年に『あいうえおうさま』(理論社)で絵本にっぽん賞を受賞。その後1982年に『おおきなちいさいぞう』(文研出版)で講談社出版文化賞絵本賞を受賞。
独立項目のある作品
画家が和歌山に差し替えられた作品
- ぼくは王さま(和田誠、理論社、1961年)
- おむくん とむくん(多田ヒロシ、あかね書房、1965年)→オムくん トムくん(理論社、再版年度不明)
- おにのあかべえ(ヒサクニヒコ、ポプラ社、1973年)→おにの赤べえ(1997年)
- しまったさんシリーズ(かみやしん、金の星社、1977年)→寺村輝夫おはなしプレゼント 3 こまったおばさん それからどうした(講談社、1994年)
- まいごになったぞう
- あなにおちたぞう
- いいことをしたぞう
- まちをたべたぞう
シリーズ
乳児を対象とした、いわゆる「赤ちゃん絵本」のはしり。「俺たちのやった事は早すぎたな」という寺村の言葉を、和歌山は今も覚えていると語る。
- たたくとぽん
- だれのたまごかな
- ふたごのたまご
- おおきなたまご
- 寺村輝夫童話全集(ポプラ社、1982年)
ここでは和歌山の挿絵担当分のみ掲載。
- 王さまの話I~V
- オムくんの話I~II
- ミコちゃんの話
その他の単独刊行
- 1960年代
- 子ぞうのブローくん(ポプラ社、1968年)
- こびとのピコ(大日本書房、1968年) - 1989年に理論社より再版。
- どうぶつえんができた(あかね書房、1968年)
- がんばれオムくん(偕成社、1969年)
- ちょこれーとがほしい(ポプラ社、1969年)
- 1970年代
- カメラの中はアフリカ(偕成社、1970年)
- たかしのさくせん(あかね書房、1970年)
- ちびぞうキーバ(偕成社、1970年)
- ぼくのいえなんだ(あかね書房、1970年)
- ほっとけーき1ごう(小峰書店、1970年)
- らいおんのまくらくん(あかね書房、1971年)
- つなひきわっしょい(あかね書房、1972年)
- びっくりしゃっくり(講談社、1972年)
- うそつきテンボ(金の星社、1973年)
- まひるのライオン(岩崎書店、1973年)
- ミカちゃんのぼうけん(小峰書店、1973年)
- かいじゅうの森(高橋書店、1974年)
- はみがきたむたむ(高橋書店、1975年)
- ポレにきたはがき(岩崎書店、1975年)
- モコちゃんのしっぽ(あかね書房、1977年)
- たまごのたんじょうび(旺文社、1978年)
- 1980年代
- おおきなちいさいぞう(文研出版、1981年)
- くるくるのひみつ(ひさかたチャイルド、1981年)
1980年代からは「王さまシリーズ」の再版に伴う、挿絵の再執筆に専念している。
寺村以外の作品
- 『ちがうもん 350シリーズおはなしえほん』作・和歌山静子(2000年ポプラ社)
- 『しっこっこ できるよできる』文・西内ミナミ(1999年偕成社)
- 『わたしのはなし おかあさんとみる性の本』文・山本直英(1992年童心社)
- 『ふくろうのそめものや あかちゃんのむかしむかし』文・松谷みよ子(1991年童心社)
- 『えんそくこわいぞあぶないぞ 新選創作どうわ』文・末吉暁子(1985年偕成社)
外部リンク
- ありがとう 寺村輝夫さん - 「永井郁子のホームページ」より、永井と和歌山の追悼文。和歌山については告別式の悼辞も一部掲載。