ポーランド人

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox 民族 ポーランド人ポーランド語:Polacy)は、ポーランドの主要民族。中東欧に広がるスラヴ語派の話者の集団のひとつで、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派西スラヴ語群に属するポーランド語母語とする。英語名はPoles。

民族名の起こりは、古代にポーランド平原を統一し、ポーランド王国の基礎を築いた西スラヴ人の一派の諸部族のうちの中心部族であったポラン族(別名レフ族)に由来している。ポラン族はポランの複数形を用いて「ポラニエ」と呼ばれるが、これで原義では平原の民という意味で、原インド・ヨーロッパ語をもととする。ポランから日本語にも取り入れられている英語的な国名「ポーランド」(ポーランド語ではポルスカ、Polska)の語源となった。

「民族」ではない「ポーランド人」

15世紀半ばから19世紀初めにかけては、「ポーランド人」は民族的出自や宗教的信条にかかわらずシュラフタの階級の人々のみを指していた。そのコスモポリタニズムの伝統は今日にも生きており、ポーランド共和国の法律ではポーランド人という民族を定義する民族的な規定はなく、ポーランドに永住している人々が全て「ポーランド人」という国民であるとしている。つまり「アメリカ人」というのと同じ感覚である。一方、ヨーロッパの他の国々ではポーランド人よりも強固な民族主義的判断基準を持っていて、ポーランド語を日常的に話し、ポーランド独特の伝統を共通して持っており、ポーランドを出身地とする民族的背景を持つ人々のみをポーランド人だと考えている。実際のところ、ポーランド人の先祖の民族的出自は多岐にわたっていて、中世初期までのポラン族だけでなく、ほかのスラヴ系諸部族、さらにはスラヴ系でないドイツ人オランダ人スコットランド人リトアニア人ユダヤ人アルメニア人リプカ・タタール人なども多数包含している。

ポーランド語と異なる言語を母語とし、ポーランド人と別の集団としてのアイデンティティをもってポーランドに居住しているカシューブ人ルシン人グラル人シレジア人などは、ポーランド人と同じスラヴ系民族であっても、国内少数民族として認知されることもある。しかし通常、シレジア人を除いては、民族的少数派というよりは言語的少数派(独自の方言と地域性を維持している、という解釈)の「部族」として、当人たちも含め一般に広く認識されている。しかし、言語やその他の文化的伝統を維持するための文化的権利は、国内法と国際法(ヨーロッパ地方言語・少数言語憲章)によって保障されている。

分布

総人口はおよそ3800万人で、ポーランドのほかドイツリトアニアウクライナベラルーシなどに少数民族として居住している。また、ルーマニアエストニアなどにもごく少数が居住している。これらの地域的な広がりは、ポーランドの歴史的な領域の変遷に由来するところが大きい。

さらに、18世紀末以降1世紀以上にわたってポーランドが独立を失い、また第二次世界大戦後には長らく社会主義圏に入っていたことを反映して、ポーランド人の海外離散共同体(ポローニア)がフランススイスアメリカ合衆国イギリスカナダオーストラリアアルゼンチンなどに散らばっており、その総数は約2000万人に及ぶ。19世紀初頭のポーランド人は特にドイツに大量に移住し、その数は当時で数十万人に及ぶが、彼らの子孫の大半はドイツ人に文化的に同化してしまったためポーランド語を話さず、現在はわずかに姓にポーランド的な特徴がみられるだけである。

現在ではイギリスへ働きに出る傾向が活発であるが、そのうち移民としてイギリスに永住するものはごく一部である。隣国ドイツへの移住は少ない。それは第二次世界大戦の因縁というわけではなく、ドイツがオーストリアと共に欧州連合(EU)の2004年加盟国10カ国全てに対して2011年まで自国保護政策(移民受け入れ制限)を行っていたためであるが、その制限が撤廃された現在でもドイツやオーストリアへは短期の就労や勉学のために行く人が大半で、移民する者は人口に比して少ない。これはポーランドの経済成長が1990年代より安定して拡大しており、リーマンショック後の現在でもヨーロッパで最も安定的に発展していることが理由と推測される。

関連項目