紀元前304年
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紀元前304年は、ローマ暦の年である。当時は、「プブリウス・センプロニウス・ソプスとプブリウス・スルピキウス・サウェッリオが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元450年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世初期以降、この年は紀元前304年と表記されるのが一般的となった。
できごと
ギリシア
- デメトリオス1世がプトレマイオス1世に支援されたロドス島の抵抗市民と会談した翌年、ロドス島の包囲戦は終結した。その後、アンティゴノス1世は平和条約を結び、ロドス島の自治権を認めた[1]。
- カッサンドロスはアッティカに侵攻し、アテネを包囲した。デメトリウス1世はカッサンドロスをギリシア中央から追い出し、アテネを解放した。その見返りに、アテネ市民は彼にアテーナーの神殿と同じ神殿を与えた。
共和制ローマ
- 第二次サムニウム戦争が終結した。その平和条約は、サムニウム人にとって厳しいものであったが、4年前にローマとエトルリア人が結んだ条約ほどではなかった。平和条約で、ローマは領土を得なかったが、サムニウム人はカンパニア州の支配権を放棄した。ローマは、ローマの領土周辺の部族間の反乱を抑えることにも成功した[1]。