ジャハーンダール・シャー
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テンプレート:基礎情報 君主 ジャハーンダール・シャー(ヒンディー語:जहांदार शाह, ウルドゥー語:جہاںدار شاہ, Jahandar Shah, 1664年5月9日 - 1713年2月11日)は、北インド、ムガル帝国の第8代君主(在位:1712年 - 1713年)。父は第7代君主バハードゥル・シャー1世、母はニザーム・バーイー。
生涯
父の死後1712年、3人の弟アズィーム・ウッシャーン、ラフィー・ウッシャーン、ジャハーン・シャーを討ち、帝位を継承した[1]。
しかし、その実権は政権の得るための功労者ズルフィカール・ハーンに握られていた。それでもジャハーンダール・シャーは彼を追い落とそうともした[2] [3]。
程なくして、1713年にアズィーム・ウッシャーンの皇子ファッルフシヤルに敗れて殺害された[4][5]。
一方、帝国が衰退する中で、マラーター王国が台頭し、シク教徒、ラージプートの勢力が次々と帝国に離反し、帝国の版図はより縮小していった。
1699年に生まれた皇子がのちにアーラムギール2世として皇帝に即位した[6]。
脚注
- ↑ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p249
- ↑ チャンドラ『近代インドの歴史』、p7
- ↑ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p249
- ↑ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p249
- ↑ Delhi 10
- ↑ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p249
参考文献
- フランシス・ロビンソン著、小名康之監修・月森左知訳『ムガル皇帝歴代誌』 創元社、2009年
- ビパン・チャンドラ著、栗原利江訳『近代インドの歴史』山川出版社、2001年