小島功
テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 小島 功(こじま こお[1]、1928年3月3日[1] - )は、日本の漫画家。現在の東京都台東区根岸出身[1]。男性。血液型はO型[1]。川端画学校[1]、太平洋美術学校中退。漫画家の安野モヨコは姪にあたる。
経歴
1928年、現在の東京都台東区根岸(当時は東京市下谷区)に仕立て職人の長男として生まれる[1]。旧制高等小学校時代から漫画を描いており、絵を描くことへの興味から1943年に川端画学校に入学し、デッサンなど本格的な絵の勉強を始める[1]。
終戦後の1949年に独立漫画派の一員としてプロデビューを果たす[1]。1956年に、『アサヒ芸能』(徳間書店)にて現在も続く長期連載『仙人部落』を連載開始する[1]。1959年に独立漫画派が解散した後、1964年に日本漫画家協会、漫画集団の設立にそれぞれ参加、日本漫画協会の理事に就任(後、第4代理事長(任期:1992年6月 - 2000年5月)、現在は名誉会長)[1]。
1965年より約18年の長期にわたって深夜番組「11PM」(日本テレビ放送網)にレギュラー出演[1]、同番組ではとぼけたキャラクターで大橋巨泉・朝丘雪路らとのミニコント風のやりとりを披露し、お茶の間の人気を呼んだ。他にも東京12ch(現・テレビ東京)開局当時のニュースワイド番組「朝日新聞・ワイドニュース」にレギュラー出演し、時事問題を風刺したイラストを発表している。
大人の色気とモダン性が溢れる独特の絵画タッチで人気を集め、1968年には「にほんのかあちゃん」で第14回文藝春秋漫画賞(文藝春秋主催)を受賞、同賞において昭和生まれの漫画家が受賞した初例となる[1]。
1974年より『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて『ヒゲとボイン』の連載を始め、1956年開始の『仙人部落』と並び現在も続く長期連載となる[1]。同年には日本酒メーカー・黄桜のキャラクター「河童」のキャラクターデザインを初代キャラクターデザイナーである清水崑より引き継ぎ、2代目キャラクターデザイナーとなる[1]。
漫画家としての活動以外にも、1984年に下呂温泉の観光PRポスターのイラストを依頼製作したのを皮切りに、イラストレーターとしても多くの作品を製作している[1]。
1990年に紫綬褒章を、2000年に勲四等旭日小綬章を、それぞれ受章[1]。2013年現在、連載57年目を迎えた仙人部落は、現在単一作家によって連載されている漫画作品としては世界で最も長く続く漫画であり、このままいけば2017年にはギネス記録を更新予定である。
作品リスト
- 仙人部落(アサヒ芸能、1956年 - 連載中)
- ヒゲとボイン(ビッグコミックオリジナル、1974年 - 連載中、ただし2011年から長期休載中)
- にほんのかあちゃん
- オシャカ坊主列伝
- COMIC忠臣蔵
- コオ釈西遊記
- 日本遊女考
- 孤島ナンセンス
- 100%の夫婦愛
- あひるヶ丘77
- うちのヨメはん
- 俺たちゃライバルだ!
- OH!大先輩
- 漫画マンション夜話
- 猫が通れば道理引っ込む - エッセイ集
他に、雑誌の表紙イラストも手掛けている。
関連項目
- キザクラカッパカントリー - 黄桜記念館で黄桜CMの原画を展示