ヨハネ
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ヨハネ(テンプレート:Lang-la-short)は男性名。
ヘブライ語で「主は恵み深い」を意味するヨーハーナーン יוחנן Yôḥānān が元の形とされる。ギリシア語では"Ιωάννης" (イオーアンネース。ただし中世以降の発音はイオアンニスもしくはヨアニス)。ラテン語(およびドイツ語)ではこれを受け継いで"Ioannes", "Iohannes", "Johannes"(ヨハンネス、ヨハネス)。
日本では「ヨハネ」という読み方・表記が、日本聖書協会の日本語訳聖書をはじめとして広く用いられている。
目次
相当する各国語・各種表記
- Ιωάννης(イオアンニス) - 現代ギリシア語
- Ιωάννης(イオーアンネース) - 古典ギリシア語再建
- Ian(イアン) - スコットランド・ゲール語
- Иван(Ivan, イヴァン) - ロシア語
- Иоанн(イオアン) - 教会スラヴ語再建音
- Ioan(イオアン) - ルーマニア語
- Evan(エヴァン) - ウェールズ語
- Eoin(オーイン)またはSeán(ショーン) - アイルランド・ゲール語
- Shane(シェーン) - Seanが英語化したもの
- Jean(ジャン) - フランス語
- João(ジョアン) - ポルトガル語
- Giovanni (ジョヴァンニ) - イタリア語
- John(ジョン) - 英語
- Juan(フアン) - スペイン語
- Հովհաննես(ホヴハンネス) - アルメニア語
- János(ヤーノシュ) - ハンガリー語
- Jan(ヤン) - ポーランド語・チェコ語・オランダ語・デンマーク語
- Juhani(ユハニ) - フィンランド語
- Johannes(ヨハネス) - ドイツ語
いずれも各国のキリスト教徒によって非常に好まれる男子の名である。クルアーンにも預言者のひとりとして言及されており、アラビア語でヤフヤー(يحيى Yaḥyā')と呼ばれる。
キリスト教聖書関連の人物
- 洗礼者ヨハネ - 『新約聖書』に登場する、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた人、預言者。
- 使徒ヨハネ - イエス・キリストの十二人の弟子・使徒の一人。
- 福音記者ヨハネ - 1世紀末の人で、ヨハネによる福音書、ヨハネの第一の手紙、ヨハネの第二の手紙、ヨハネの第三の手紙、黙示録の著者とされる人。伝統的に2の使徒ヨハネと同一人物であると見られているが、現在の新約聖書学の研究からは否定する学者もいる。
なお、黙示録の記者ヨハネと福音記者ヨハネとは信仰が異なると見る学者もいるが、黙示録が書き記されたのは黙示録記者自身の記すように、パトモス島での啓示を受けた後であるので、そこに信仰理解の深まりがあるのが当然であり、キリスト教信仰の一貫性に齟齬を生じているという事実はない。
キリスト教関連の人物
- ヨハネス・クリュソストモス - 4世紀の神学者で聖人。聖金口イオアン聖体礼儀の編纂者。日本正教会ではクリュソストモス(金の口を持った)を漢字に置き換え固有名詞部分は教会スラヴ語から転写し、金口イオアンと訳される。
- ヨアンネス・クリマコス - 5世紀末から6世紀の神学者で聖人。
- ダマスコのヨハネ(ダマスカスのヨハネ) - 8世紀から9世紀にかけてのシリアの神学者で聖人。
- ネポムクのヨハネ - 14世紀の司祭で聖人。
- 十字架のヨハネ - 16世紀の司祭で聖人。神秘思想家にして教会博士の一人。
ユダヤ人の歴史上の人物
- ヨハネ・ヒルカノス1世 - 前11世紀、古代イスラエルハスモン朝の祭司王。サマリアを川の水で洗い流した。[1]
ヨハネの名を持つローマ教皇
22世まではラテン語読みの「ヨハネス」を用いているが、ヨハネ23世および、ヨハネ・パウロ1世と2世は日本語で慣用されている表記を用いている。
- ヨハネス1世
- ヨハネス2世
- ヨハネス3世
- ヨハネス4世
- ヨハネス5世
- ヨハネス6世
- ヨハネス7世
- ヨハネス8世
- ヨハネス9世
- ヨハネス10世
- ヨハネス11世
- ヨハネス12世
- ヨハネス13世
- ヨハネス14世
- ヨハネス15世
- ヨハネス16世 (対立教皇)
- ヨハネス17世
- ヨハネス18世
- ヨハネス19世
- ヨハネス20世 (存在せず)
- ヨハネス21世
- ヨハネス22世
- ヨハネ23世
- ヨハネ・パウロ1世
- ヨハネ・パウロ2世
ヨハネの名を持つ対立教皇
- 対立教皇ヨハネ
- ヨハネス16世(対立教皇)
- 対立教皇ヨハネス23世
その他のヨハネ
- ヨハニス・デ・レーケ(明治時代のお雇い外国人、オランダ人土木技師)
- ヨハネスブルグ(ヨハネにちなむ地名)
脚注
- ↑ "Later in his reign this same Hasmonean ruler, now independent of the Seleucids laid siege to the city of Samaria (109 BCE?) and took it after a year's manoeuvring (Bell. I.64ff;Ant. XIII.275ff). The hated city was utterly destroyed by undermining literally allowed to be washed away.". cf. テンプレート:Cite book