錦町 (山口県)

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錦町(にしきちょう)は、山口県の北東部にあった2006年3月20日、岩国市および玖珂郡内の町村(和木町を除く)と合併し、新たに岩国市となり、町域は岩国市錦町(にしきまち)となった。

錦川沿いと、宇佐川沿いに集落が点在する。

地理

山口県で最も標高の高い地域にあり、県内一番の寂地山がある。 錦川とその支流の宇佐川が町内を流れ、その川沿いに町が開けている。 宇佐川の支流である寂地川は、名水百選にも選ばれ、美しい清流と緑を求める人が夏季には集まる。

隣接する自治体

歴史

宇佐城は、昔の地頭の居城として有名だが、天正年間には、刀禰[24]大倉左衛門尉が住み、処務をこなしていた。ところが、この男は私欲深く、宰判の農民は困苦していた。ある日、広兼兵衛助というものが大倉左衛門尉の所へ行ったが、口論刃傷に及び、ついに兵衛助左衛門は討たれてしまった。そこで、兵衛の一子松之助が大いに怒り、速やかに父の恨みを晴らそうとした。そこで、一族の弘民部太夫恒国藤左衛門、国本孫太郎と三人で相談したが、まだ、力が足りないと考えて、大原村の宇佐川孫兵衛(宇佐郷を開拓した土豪の子孫)に助太刀を頼んだ。本望を達したならば、刀禰の給料を渡すことを約束して日取りを決めた。ところがその日になって、孫兵衛が遅れてしまった。仕方なく、三人で大倉の家に乱入して戦いを挑み、数刻後終に左衛門尉をはじめ、その子道満と奴僕隼人弥九郎を討ち取った。ところが、嫡子の智元がその場を抜け出し、深谷に逃げ隠れた。この三人はその後を追い、丸子山という高山で刺し殺した。ついに復讐を果たし、大倉一家と奴僕七人の死体を穴に埋めて、石を積んでその印とし、七人墓と呼んだ。しかし、その後、大倉の霊が村民に祟って災いをなしたので、その霊を神に祭って霊を鎮めた。これを黄幡社という。その後、智元を討ち取った丸子山を、智元の丸子と呼ぶようになった

交通

道路

高速道路

一般国道

鉄道

路線バス

教育機関

  • 錦町立
    • 錦清流小学校
    • 宇佐川小学校
    • 錦中学校
  • 山口県立広瀬高等学校

名所・旧跡・観光

出身者


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