ジャームのミナレット

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テンプレート:Infobox ジャームのミナレットアフガニスタンゴール州テンプレート:仮リンクテンプレート:Lang-ps - Harī Rūd - ハリー・ルード、テンプレート:Lang-la)とその支流ジャーム川の合流点のほとりにあるミナレット(尖塔)。ゴール朝(グール朝)のスルターンギヤースッディーン・ムハンマド(在位:1163年 - 1202年)が築いたとされる。

概要

このミナレットは八角形の土台の上に60mの高さを持ち、褐色の煉瓦と、青色のタイル装飾、ブハラで発展を遂げた幾何学模様、クーフィー体アラビア文字の刻印などを特徴とする。このミナレットはゴール朝の最盛期であり、滅亡寸前でもあった12世紀末頃に建てられており、ゴール朝における建築技術の最高峰とも言われる。

これは後に元ゴール朝の将軍でデリー・スルターン朝奴隷王朝を開いたクトゥブッディーン・アイバクによって建設されたミナレット、クトゥブ・ミーナールインド)に影響を与えたと言われる。ちなみに、このミナレットの建設の目的は明らかではなく、「凱旋記念碑である」、「昔あったモスクの残骸」など様々な説が唱えられている。

ミナレットの再発見

このミナレットは、ゴール朝の滅亡以降忘れ去られていたが、アフガニスタン人の考古学者、アフマド・アリー・ハーン・コフザードとフランス人のアンドレ・マリクの率いる探検隊によって1957年8月18日に発見された。

1960年代にはイタリア人のアンドレア・ブルノによって発掘が行われた。その文物はカーブル美術館に治められている。

文化財の破壊

1964年に、旧バザールがホテル建設のため破壊され、その後もジャームのミナレットは放置されていたがために、政変や内戦などにより遺跡や文化財の破壊が進んだ。

2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻では、混乱に乗じての文化財の盗掘が行われ、遺跡も大きな打撃を受けた、またハリー・ルード川によるミナレット土台の浸透浸水の問題や、道路建設などの開発計画も唱えられており、早急な対策が求められている。なお、2002年には遺跡保護のためユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録され、問題の早急な対応を促すため危機遺産にも指定された。

世界遺産に同時に登録された遺産

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core

関連項目

テンプレート:仮リンク・・・ゴール朝の王都

テンプレート:Sister テンプレート:アフガニスタンの世界遺産