フェデリーコ3世 (シチリア王)
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フェデリーコ3世(Federico III, 1342年 - 1377年)は、シチリア王(在位:1355年 - 1377年)。シチリア王ピエトロ2世の息子。
兄ルドヴィーコの夭逝により、1355年に13歳で王位を継承した。即位後はナポリ王国の侵攻に苦しめられ、1373年にはナポリ女王ジョヴァンナ1世とローマ教皇グレゴリウス11世に対して服属するという屈辱的な和睦を結ぶこととなった。1361年にアラゴン王ペドロ4世の娘コンスタンサと結婚し、間に一人娘のマリア王女をもうけた。1372年にアントーニア・デル・バルツォと再婚するが、子供のないまま死別した。
フェデリーコ3世には男子がなかったため、1377年の死後、王位は最初の王妃との間の一人娘マリアが継承した。しかしその後、王位をめぐる内紛が発生し、その末にシチリア王国はコンスタンサの異母弟でフェデリーコの妹エレオノーラの息子であるマルティン1世によってアラゴンに再併合された。
フェデリーコ3世/4世
シチリア王フェデリーコ1世が神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(イタリア名を用いるとフェデリーコ2世)として有名なため、フェデリーコ2世(1272年 - 1337年、本項人物の祖父)を「フェデリーコ3世」、本項人物を「フェデリーコ4世」と記す文献もある。
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