サピア=ウォーフの仮説
テンプレート:人類学 サピア=ウォーフの仮説(サピア=ウォーフのかせつ、Sapir-Whorf hypothesis、SWH)は、どのような言語によってでも現実世界は正しく把握できるものだとする立場に疑問を呈し、言語はその話者の世界観の形成に差異的に関与することを提唱する仮説。言語相対性仮説とも呼ばれる。エドワード・サピアとベンジャミン・リー・ウォーフの研究の基軸をなした。
来歴
言語が思考の基盤であるとする立場はもともと18世紀後半から19世紀前半にかけてドイツの思想家達が深めたものであった。早いものではイマヌエル・カント、ヨハン・ゲオルク・ハーマン、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの著作において言及がみられる。擁護論はヴィルヘルム・フォン・フンボルトの論文 Über das vergleichende Sprachstudium [1] から提出され始めた。
彼らの見解は次第にドイツを越えて流布していった。カール・ケレーニイは1976年の『ディオニューソス』の英語訳を次のような序文で紹介した:
言語と思考のこのような関係にたいする身近な認識を積極的に深めたものとしての SWH の起源は、フランツ・ボアズ(合衆国における人類学の父)の研究にあるとされる。ボアズは19世紀後半にドイツで修学している。エルンスト・マッハやルートヴィッヒ・ボルツマンらが感覚の生理学を研究していたころである。哲学の潮流としてはカントの著作にたいする関心が大きく復興していた。カントによると、知識とは、個人がめいめいに携わる具体的な認識行為の結果である。個人にとっての「現実」とは、常に流動している感覚要素を一時的・一部的に抽出した直感的なものであり、これを自身の知的範型に通して解釈したときに「理解」が起こる。したがって、同じ物自体を、異なる個人個人が異なる現象の一件一件として概念化するということがありうる。同じ事物を異なる現実として解釈させるこの知的範型の相違と、同じ事物を異なる形式で解釈させる言語の文法カテゴリーの相違との類似にボアズは着目した。研究材料は彼が合衆国にて出会った数々のアメリカ・インディアン諸語である。これらは皆、当時の西洋言語学における一般の研究対象であったセム語派やインド・ヨーロッパ語族のものとは大きく異なる性格をしていた。ボアズはそのなかで、生活様式と言語様式というものが地域によってどれだけ多様であるか、そして両者の間にどれだけ強い結びつきがあるのかを悟った。ここに、人々の生活観は言語に反映されるのだという彼の結論が生まれた。
原典
サピアはこの考えを幾度も表明している。そのひとつは例えば以下の箇所である。
批判
生成文法を提唱したノーム・チョムスキーに付いて学んだスティーブン・ピンカーは、その著書『言語を生みだす本能』(The Language Instinct) において、言語本能説に立ち、人の思考は普遍的な心的言語で行われるものである、人は、生得的に持つルール(文法)の上に、母語の文法を習得していくのである、と考察し、サピア・ウォーフの仮説(言語的相対論)を批判する考察を展開している。
関連項目
参考文献
関連著作
- 『言語・思考・現実』 著 B.L.ウォーフ 訳 池上嘉彦 講談社 1993年 ISBN 4061590731
- 『文化人類学と言語学』 著 E.サピア、B.L.ウォーフ 訳 池上嘉彦 弘文堂 1995年 ISBN 433505114Xテンプレート:Language-stub