本斗町
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テンプレート:Infobox 本斗町(ほんとちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照のこと。現在はロシア連邦がサハリン州ネベリスク (Невельск) として実効支配している。
概要
- 樺太では珍しい、製紙工場を背景とせず、林業や漁業を中心として発達した町であった。
- 日本人との関わりも大変古く、1295年日持上人が日蓮宗の布教活動の為に町内にあたる阿幸(ヤスノモルスキー)に上陸したと言われている。
歴史
- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、本斗村、阿幸村が行政区画として発足。本斗郡に所属し、真岡支庁本斗出張所が管轄。
- 1922年(大正11年)10月 - 管轄支庁が本斗支庁に変更。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 阿幸村が本斗村に合併。
- 1928年(昭和3年)12月31日 - 本斗村が本斗町となる。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により一級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が真岡支庁に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日本斗町廃止。
交通
- 鉄道・バス
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[1]。
国民学校
- 樺太公立知根平国民学校
- 樺太公立麻内国民学校
- 麻内沢分教場
- 樺太公立阿幸国民学校
- 樺太公立遠節国民学校
- 樺太公立遠節沢国民学校
- 樺太公立本斗国民学校
- 樺太公立吐鯤保沢国民学校
中等学校
- 樺太庁本斗水産学校
脚注
- ↑ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1685 - 86、p. 1693