カリストゥス3世 (ローマ教皇)
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カリストゥス3世(Calixtus III、1378年12月31日 - 1458年8月6日)は、ルネサンス期のローマ教皇(在位:1455年 - 1458年)。スペインのボルジア家出身で、本名はアルフォンソ・デ・ボルハ(Alfonso de Borja)。後の教皇アレクサンデル6世は甥に当たる。
レリダの大学で法学を学び、外交官としてアラゴン王アルフォンソ5世に仕えた。1429年、対立教皇クレメンス8世の退位に功があったとして教皇マルティヌス5世からバレンシア司教に任命、1444年にエウゲニウス4世に枢機卿に任命された。1455年、ニコラウス5世の没後のコンクラーヴェで選出、カリストゥス3世を名乗った。
治世ではスペイン出身者を周囲に集めたため、ローマ市民を憤慨させたという。また、ニコラウス5世は十字軍に充てるべき費用を教会の修復や芸術、文芸に費やしたとして非難したといい、十字軍結成に力を尽くしたが戦果を挙げられずに終わった。ジャンヌ・ダルクの裁判判決を覆す一方でネポティズムも行い、ロドリーゴ・ボルジア(後のアレクサンデル6世)を枢機卿に登用した。既に高齢、病気がちで即位後3年で逝去した。
参考文献
- イヴァン・クルーラス著、大久保昭男訳『ボルジア家』、河出書房新社
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