ラジャダムナン・スタジアム
ラジャダムナン・スタジアム(テンプレート:Lang-th-short、テンプレート:Lang-en-short)は、タイのバンコク・ポーンプラープ区、ラジャダムナンノーク通りにあるムエタイおよびボクシング専用の競技施設。ルンピニー・スタジアムと並び、常設施設の中では最高の権威をもつムエタイ試合会場である。収容人数は1万人以上。観客席にも空調設備があり快適に観戦できるが、試合の質に大きなバラつきがあり、付近に住宅地や商業地が少ないことと駐車場がないことなどからも、一部の人気プロモーター以外の興行では観客動員数でルンピニー・スタジアムに遅れをとっている。権威ある施設のため、女性は試合はおろかリングに上がることもできない。
TBC(Thailand Boxing Commission、タイ王国ボクシングコミッション)事務局併設。タイのボクシング法(1999年制定)では、タイ王国政府観光スポーツ省の外郭団体であるPBATがプロモーターやクラブオーナーのライセンス発行や選手登録やナショナル王座を管理・監督する(同国にはメキシコ同様にプロボクサーライセンスは存在しない)など、業務を行い国際式ボクシングも管轄しTBCはその下部組織に該当している(しかしJBCのタイとの交流窓口は依然TBCが担っている)。
歴史
- 1941年(タイ仏歴2484年)に首相であったプレーク・ピブーンソンクラーム元帥の命により国立ボクシングスタジアムとして開設された。タイで最も歴史がある施設だが、初めは露天の試合場であった。
- 何度かの改築を経て、1951年(タイ仏歴2494年)にほぼ現在のものと同じ状態が完成した。
- 1969年ロッキー・マルシアノが、Raksak Wayupuk対Saknoi Sor Kosumの国際マッチのゲスト・レフェリーとして参加した。
試合開催日
毎週月曜日、水曜日、木曜日、日曜日に試合がある。日曜以外は午後6時ごろより開始、ルンピニー・スタジアムと異なり初めから第1試合と数える。日曜は若手の選手の出場が多く、技術的にはやや未熟であるがその分KO試合も多い。「クーエーク」(คู่เอก)と呼ばれるメインイベントは、第7試合か第8試合が多いが流動的である。メインイベントは最終試合ではなく、その後にややレベルの落ちる選手の試合が2試合ほどあり、その中には若手選手の国際式ボクシングの試合がしばしば含まれる。なお、仏教や王室に関して重要な行事のある日は、曜日にかかわらず試合は一切行われない。
スタジアムの運営
当初は王室財務局が運営していたために王室系としばしば表現されるが、1953年(タイ仏歴2496年)よりラジャダムナン・スタジアム株式会社が管理し、ランキングの作成やレフェリーの管理等はTBCが担当している。
プロモーター
試合の興行権は、審査を受け登録された公認プロモーターのみにある。現在は13人でそれぞれ自分の興行名がある。新日本キックボクシング協会も自主興行実施した事もある。
主なプロモーターに(アンモーこと)チューチャルン・ラウィーアラムウォン[1]、ソンチャイ・ラッタナスバン、ニワット・ラオスワンナワットなどがいる。
呼び方について
日本ではラジャダムナン・スタジアムの語で定着しているが、よりタイ語に近い発音はラーチャダムヌーン・スタジアムとなる。しかしタイ語での正式名称はウェーティー・ムアイ・ラーチャダムヌーン( เวทีมวยราชดำเนิน )であり、タクシーなどの運転手の一部には「スタジアム」という語が理解されない恐れもある。またルンピニー・スタジアムと違い、観客席にも冷房が効いているので、俗称としてウィッグ・エーと呼ばれることもある。
アクセス
- バンコク市内バス70, 509
バックパッカーの聖地として知られるカオサン通りから歩いて10数分程度とほど近いこともあり、日本人を多く含むバックパッカーの観戦者も多い。
脚注
- ↑ アンモーは1990年代半ばギャンブルを中心とした浪費で金銭的に困窮しプロモート利権、自身の経営するジム、お抱えのナックムエ・プロボクサー全員を後にマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟理事長となる山木ジム会長山木敏弘に30万ドルで売り渡そうとした事が有った。結果的には50000ドルで国際式フェザー級王者シンヌン・チュワタナを移籍させた(JBCルールでは他のプロスポーツに従事する者や別の格闘技に携わる者は活動不可能である為、当時の山木ジムと同じ世田谷区内下北沢の金子ボクシングジムに形式的に所属)
関連項目
外部リンク
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