ハイレッド・センター
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ハイレッド・センターは、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名により1960年代前半に結成された前衛芸術グループ。真紅の「!」がシンボルマーク。
概要
ハイレッド・センターというグループ名は、メンバーの名前の「高」=「ハイ」、「赤」=「レッド」、「中」=「センター」を組合わせたものである。その活動は、オリンピックを前に警戒が強まる東京の路上で、秘密組織的な印象を漂わせた行動を起こしたり、逆に過度に公的機関の重要事業を装ったりと都市を撹乱するもので、路上・電車の中・ホテルなどの日常的な場所で非日常的な行為を行う過激な「イベント」で美術ジャーナリズムだけでなく週刊誌など世間の注目をも集めた。当時、メンバーは流動的で、活動ごとに変化するとしていた。
彼らの集団は様々なイベントや行動によって、それが芸術であるかないかという事を制度的に問いかけようとした。
活動の記録
主な活動一覧
- 山手線事件
- 第5次ミキサー計画
- 新宿・第一画廊での「ハイレッド・センター」を名乗った最初のイベント。岡本太郎がテープカットを行った。
- 第6次ミキサー計画
- 新橋の駅前と宮田内科診療所でのイベント。
- シェルタープラン
- ドロッピング・イヴェント
- 御茶ノ水・池坊会館の屋上から衣類・カバンなどさまざまなものを投げ落とすイベント。
- 敗戦記念晩餐会
- 国立市公民館にて開催。観客を晩餐会に招待し、主催者だけが晩餐をとるイベント。
- 首都圏清掃整理促進運動
- 1964年東京オリンピック前の銀座の街頭に清掃運動中の看板を立て、メンバー全員白衣にマスク姿で、通行人のうさんくさげな視線の中、マンホールやアスファルトなどを雑巾や薬品で不必要なまでに清潔に磨き上げた。
など
参考書籍
- 赤瀬川原平 『東京ミキサー計画 ― ハイレッド・センター直接行動の記録』 Parco出版局、1984年 / 筑摩文庫、1994年
- 平田実 『超芸術 ― 前衛美術家たちの足跡1963-1969』 三五館、2005年
関連項目
外部リンク
- 絵描き共の変てこりんなあれこれの前説 - 今泉省彦著。赤瀬川の著書の記憶違い、勘違いなどが指摘されている。
- ハイ・レッド・センター:現代美術用語辞典 - artscapeテンプレート:Artist-stub