「村上幸子」の版間の差分

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テンプレート:Infobox Musician 村上 幸子(むらかみ さちこ、本名:鈴木幸子1958年10月21日 - 1990年7月23日)は新潟県村上市(旧・岩船郡荒川町)出身の演歌歌手

所属事務所はクラウン音楽芸能ホリプロダクション

1979年に『雪の越後を後にして』でクラウンレコードから歌手デビュー。1984年の「酒場すずめ」が人気を集め、歌唱賞レースに参戦した。

1988年にリリースされた「不如帰(ほととぎす)」を自らの勝負曲と位置づけたが、歌詞の一部が、当時昭和天皇が重体で「時期的にも適切な表現とは言えない」という理由から放送中止(自粛)になったというエピソードを持っている(「不如帰」の歌詞中に「血を吐く…」という形容の表現があり、当時昭和天皇は下血・吐血を繰り返し、危篤と小康状態を往復していたため、このことを気遣った放送局は同曲の放送を自粛した)。後に「不如帰」は2006年に瀬口侑希がカバーした。

また、文化放送ラジオ番組走れ!歌謡曲』のパーソナリティを務めるようになる。しかし、1989年、喉部に大豆状のしこりが見つかり、検査の結果、急性リンパ腫と診断され入院。その間もリスナーなどからの激励の手紙が多数村上のもとに寄せられたが次第に病状は悪化、1990年7月23日、31歳で死去。

『走れ!歌謡曲』のパーソナリティ仲間である小池可奈は、村上の半生とその交流を語った伝記本「さっちゃん物語」(三五館)を著している。

主な曲